ネっているから、すぐ来てくれと言う。その時のヘンリイは、傍《はた》の見る眼も気の毒なほど、狂気のように取り乱していた。ただちにハイ街の家へ駈け付けてみると、はたしてベシイは、同家屋根裏に取り付けられた金一ポンド十七シリング六ペンス也《なり》のブリキの浴槽の中で片手に石鹸を握ったまま、冷く固くなっていた。こうしてベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディは、入浴中の「癲癇《てんかん》の発作」で、裸体という失礼な風俗のまま見事に昇天しトしまった。なにしろとっさのことで、着物を着る暇がなかったのだろうと、ヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスがあとで裁判長を揶揄《やゆ》している。しかし、絵で見る天使はみんな裸体だから、あれでいっこう差閊《さしつか》えあるまいと彼はこの悲劇に不謹慎《ふきんしん》なユウモアを弄《ろう》して満廷を苦笑させた。これは後日のことで、とにかく、こんなことがないように、医者にも見せてあれほど注意したのだ。それだのに、大丈夫だといって入浴したりするから、取返しのつかないことになってしまったと嘆き悲しんで、その当座彼は「半狂乱」の有様だった。
これはスミスが、もっともうまく遣《や》った商売《デイル》の一つだった。殺す前にベシイを唆《そそのか》して、自分はときどき発作に襲われるようになったというようなことを手紙に書いて、方々の親類へ出させたのだ。その中にはヘンリイとその愛の生活といったような惚気《のろけ》混《まじ》りの文句もある。そして、自分は良人《おっと》を愛するし、良人もよくしてくれるから、良人を全財産の相続人として遺書を作ったと報告している。なにしろ故人がまだ生きているうちに手記したものだから、この手紙はヘンリイにとって大きな便宜《べんぎ》となった。そのために、屍《し》体の解剖を主張した伯父パトリック・マンデイの要求も斥《しりぞ》けられて、フレンチ医師のとおり一遍の死亡検案書がそのまま通った。事件の四日目から彼は相続の手続を始めている。親類の中には死因に疑念を挟《はさ》む者もあって、パトリック・マンデイを先頭に立てていちじは訴訟になりそうな形勢だったが、なにしろベシイの遺言書に法律上の瑕瑾《きず》がないので、ついに折れて手を引いてしまった。二千五百ポンド――二万五千円――はヘンリイ・ウイリアムズの有に帰した。
この時情婦のエデス・ペグラアはマアゲイトでスミスの帰りを待っていた。エデスはこのスミスの活躍をすこしも知らずに、商売物の骨董《こっとう》のことで各地を旅行していることと信じきっていたというのだ。このベシイ殺しの後でも、われわれは、すぐエデスのふところへ飛び帰って、一緒に生活しているジョウジ・ジョセフ・スミスを発見する。ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディのことなどは、彼はすでにけろりと忘れていた。When they're dead they're dead. だ。比較的大金を持って来たことをエデイに説明して、カナダで掘出物をして思わない儲《もう》けにありついたのだと言っている。約二年間、二人は呑気《のんき》に居食いして暮らした。が、ふたたぴポケットが淋しくなったスミスは、またぞろ「掘出物」を捜して、今度は英国南部の海岸へでかけた。一九一三年の秋だっだ。そうしてその十月には、そこのアストン・クリントンであのアリス・バアナムに接近していたのだ。
一九一四年の十一月だった。
クリフトンの町である。牧師の娘で、他家の小間使いに行っているマアガレット・エリザベス・ロフティという二十三になる女が、ジョン・ロイド―― John Lloyd ――と呼ぶ男とふとしたことから知りあいになった。ちょうどこの時マアガレット・ロフティは失恋に悩んでいたので、この痩せぎすで背の高い、色白のジョン・ロイド君から優しい同情の言葉を寄せられると、その感謝の心持ちは必然的に恋に変わって、そこへロイド君が結婚の申し込みをしたものだから、二人は急転直下的に、同月十七日にバス町で結婚式を挙げた。式後ただちに、ロイド君は花嫁を保険会社へ伴《つ》れて行って、七百ポンドの生命保険を付けた。それから、花嫁の金として銀行にあった、たった十九ポンドを引き出して、その中から二人分の汽車賃を払ってロンドンへ出た。上京する前にロイド君はハイゲイト区オルチャアド街のウイルドハアゲン夫人の下宿へ手紙を書いて部屋を予約しておいた。ところがその家へ着いてみるとまだ部屋の用意ができていないで、二、三時間してから来てくれというのだ。仕方がないからロイド君はお上《のぼ》りさんの花嫁を引きまわして、ぶらぶらロンドンの町を見て歩いて時間をけした。が、下宿の女将のウイルドハアゲン婆さんは、二人があまり貧弱な風体《ふうてい》をしているので、はじめ部屋を見に来た時から、そう
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