一つ突いたんだろう」
「誰を?」
「もす[#「もす」に傍点]さんをさ、滑るところを」
「何を言やがる! 助かるものなら助けてえって下の娘を覗いてやがるから、おれが――」
「突いたんだ。ついたんだ、やっばり突きおとしたんだ!」
「ばか言え!」
峰吉は土いろをしていた。一生懸命だった。袴へ片足入れたまま、羽織の袖をひろげて茂助の滑る真似をして見せた。それは、いまにも泣きだしそうな不思議な顔だった。
「こうよ――いいか――こう滑って、足をはずして――こう廻ってな、な、こう――いいか、こう――」
「突き落したのかい」
「そうじゃねえってのに! ただこう右足が左足に絡んでよ――いいか、こう転がってよ――」
「もういいじゃないの。何だなえ、嫌だよ、へんな恰好をして――わかったっていうのに」
お八重はとうとう笑い崩れた。きょとんとして、峰吉が首すじの汗をふいていると、いきなり御めんと障子があいて、巡査が顔を出した。
「あ! 旦那!」峰吉は尻もちをついた。
「何です、にぎやかですねえ。あ、これね、署長があんたへ渡すようにと――なに、表彰文だよ、校長さんに書いてもらったんでね、あんたが式で読むんだそうだ。や、では」
巡査が行こうとすると、お八重が、「あの、旦那」
と呼びとめた。峰吉はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として表彰文を読み出した。
「何だね」
「いえ、あの、お世話さまでございました」
巡査が立ち去ると、あとは峰吉の大声だった。
「消防組梯子係り故石川茂助君は、資性温順《しせいおんじゅん》にして――資性温順にして、か、何だこりゃあ――職に忠、ええと、職に忠――忠、忠、と――」
ちゅう、ちゅうが可笑しいといってお八重は腹を抱えた。で、峰吉は、汗と涙で濡れた顔を、出来るだけ「滑稽」に歪めて、黒子《ほくろ》の毛を引っぱりながら、いつまでもちゅうちゅう[#「ちゅうちゅう」に傍点]ちゅうちゅうとつづけていた。
[#地付き](〈新青年〉昭和二年十月号発表)
底本:「日本探偵小説全集11 名作集1」創元推理文庫、東京創元社
1996(平成8)年6月21日初版第1刷発行
1998(平成10)年8月21日再版
初出:「新青年」
1927(昭和2)年10月号
入力:大野晋
校正:noriko saito
2005年6月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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