沈黙の水平線
牧逸馬

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)倫敦《ロンドン》へ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|放浪の貨物船《トランプ・フレイタア》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)世界怪奇実話2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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      1

 嘗つてそんな船は存在もしていなかったように、何らの手懸りもなく、船全体から乗客、乗組員の全部が、そっくり其の儘、海洋という千古の大神秘に呑まれ去った例は、古来、かなりある。が、この行方不明船のなかでも、ここに述べる客船ワラタ号 The S.S Waratah の運命は、比較的近頃の出来事であり、そしてまた此の種の怪異のなかで最も有名な事件であると言えよう。一万六千余噸の大客船が、文字通り泡のように、何処へともなく消え失せたのである。まるで初めから空想の船で、てんで実在していなかったかの如く、その船客と乗員とともに、完全に蒼い無の中へ静かに航行して行ったのだ。一団の煙りが海面を這って、やがて吹き散らされ、水に溶け込むかのように――。
 一九〇九年、七月二十六日、ワラタ号は倫敦《ロンドン》へ向けて南亜弗利加ダアバンの港を解纜した。乗組員は船長以下百十九人、船客九十二人。英本国・濠洲間の定期客船で、この時は帰航だった。濠洲を発して此の南亜のダアバンへ寄港したもので、今も言ったように倫敦を指しての復航だから、ダアバンの次ぎの投錨地は、同じく南亜の突端ケエプ・タウンである。新造船で、ロイドの船籍簿にはA1――いの一――の級別《クラス》に登録された当時最新式の優秀船、処女航海を済まし、二度目に濠洲へ行った其の帰りだった。処女航海は何事もなく終り、船長も、その試験航海の成績に特にこれと言う異状は認めなかったが、ただ、何うも大洋へ押し出してすこし暴《し》けて来ると、何となく船の安定が悪いように感じて、この第二回の、そして最後の航海に出航する際も、船長は始終ちょっとそれを気にしていたという。一体、船は人と同じで、デリケイトな有機体だ。兎に角、七月二十六日ダアバンを出帆したワラタ号は、翌二十七日の午前、ワラタより少し小さなクラン・マッキンタイア号に洋上で追い付いている。このクラン・マッキンタイア号が、ダアバンを出港以後のワラタ号を見かけた唯一の船だが、この時は健康なワラタ号だった。当時のことで、両船ともまだ無線の設備はない。モウルス信号の旗を檣頭に靡かせて、海の騎士達は慇懃に挨拶を交換する。
「本船はワラタ号、ケエプ・タウンを指し航行中なり。貴船の船名、及び目的地は?」
「本船はクラン・マッキンタイア号。同じくケエプ・タウンに向う」
「貴船の安全且つ幸福なる航海を祈る」
「感謝。貴船に対し同様に祈る」
 海の通行人は礼儀深い。舷々並んだ時、この交驩の国際語を残して、ワラタ号は大きいだけに速力も早いのである。忽ちのうちにクラン・マッキンタイア号を遙かに追い抜き、軈がて水平線上一抹の黒煙となり、点となりて消えて終う。これは、ワラタ号が後に続くクラン・マッキンタイア号の視界から逸し去ったばかりでなく、此の時をもって同船は地球の表面から消え失せたのである。まるで何か大きな手が海を撫でて、船をも人をも、拭い除《と》ったかのように、ワラタ号は未だに消えたまんまだ、測り知れない海の恐怖と、神秘を残して――。
 爾来、「SSワラタ」の名はロマンティック――乗っていた人の身になれば余りロマンティックでもないが――海洋怪奇談の随一に挙げられ、詩人の夢によって幾多の詩となり、多くの作家の空想を刺激しては雄大壮麗な海洋冒険小説を生み出している。事実このワラタ号の運命にヒントを得た少年向き物語の中で、明治の末以来日本に飜案紹介されているものも尠くない。
 これは後日の事で、さて、話しは、船足の遅いために此の時追い抜かれて、ずっと背ろに取り残されたクラン・マッキンタイア号の上に移る。
 先年筆者は、一月元旦に濠洲のシドニイに着き、一月、二月と、われわれの住むこの北半球でいう冬の盛りを彼地で暮らして、南半球の真冬が何んなものであるかを経験している。正確には、それは真冬ではなく、真夏なのだ。赤道を境いに、南北の夏と冬が倒錯する。元日に筆者の発見した濠洲は、眩惑を覚える程強く日光を反射している白い砂浜と、濃い椰子の影との三伏の風景であり、大きな日傘の下に交通巡査が立って、ヘルメット白服の通行人が暑熱に喘いでいるのが、如何にも奇異に感じられたシドニイの街路だった。
 南半球では、一月二月は真夏で、七、八が真冬――と言っても、われわれ北半球人が概念するような冬ではないが――に当る。これは南亜も同じことだ。
 で、七月の末、ダアバンからケエプ・タウンに到る南亜弗利加の海上である。冬のことで、毎日緑灰色の海が大きく畝り、空は、暗い。濡れた帆布のような重い風が、時どき大粒の雨を運んで、鴎も、この遠い港と港の中間までは船を追って来ないのである。地球の真下に当る黒い海を、|放浪の貨物船《トランプ・フレイタア》クラン・マッキンタイア号は、退屈な機関の音を立てて刻むように進んで行く――。
 一説には、このダアバンからケエプ・タウン迄の航海の間に、クラン・マッキンタイア号は未だ何の船も経験しなかった程の大暴風雨に逢ったとも言うし、また別の説には、暴風雨《あらし》に遭遇したことは事実だけれど、この季節の此の辺の海ではよくある程度のもので、決して非道い荒れではなかったともある。それから、第三説には、暴風雨どころか、冬の南海には珍らしいほどの凪ぎで、風一つない穏やかな日和《ひより》が続き、クラン・マッキンタイア号は静か過ぎる位いしずかな航海を持ってケエプ・タウンへ入港したのだとも言う。三つの記録物に夫れぞれ主張が別れていて、今となっては確かめようもないが、いま仮りに第一の説に従って話しを進めて行くと、ワラタ号に追い抜かれた二十七日の夜晩くからかけて、翌二十八日一ぱい、その、航海の歴史にないほどの猛烈な暴風雨に出っくわしたクラン・マッキンタイア号は、約二昼夜揉みに揉まれた末、予定が遅れて、やっとのことで飜弄されるように目的地のケエプ・タウン港へ送り込まれた。入港と同時に、規則に依り、途中、後から来たワラタ号に追い抜かれて信号を交し、同船――ワラタ号も、此のケエプ・タウン港に向っていることを聞き知ったが――と、クラン・マッキンタイア号から早速ケエプ・タウン海事局へ届け出る。それとともに、そのワラタ号と別れてから記録的な大暴風雨に襲われ、そのため遅着した事も併せて報告された。ワラタはまだケエプ・タウンに入港《はい》っていない。が、誰も未だ心配する者はなかった。クラン・マッキンタイア号の言うような、何んな大|荒海《しけ》があったにしたところで、その小さなぼろ船でさえ可うやら突破して来た位いだから、同船より遙かに大きく新しいワラタ号が、乗り切れない筈はない。皆そう考えて、ワラタ号は予定が遅れただけで今にも港外に姿を現すであろうと、待ち構えていた。きっと機関に何か故障が起って、跛足《びっこ》を引くような具合に、ぶらぶらやって来ているのだろう。エンジンが参ったり、その為めに応急舵制動機《ジュリイ・ラダア》でも掛けていたりすると、虫が這うように暇のかかるものだから、遅れているのに不思議はない、と、そう話し合って、最初は比較的呑気に構えていた。ところが、二日が三日となり、四日と過ぎても、ワラタ号は、ケエプ・タウン港外の水平線上に浮かび上って来ない。そこで、真剣に騒ぎ出した。船客の家族や友人達が、憂慮に閉ざされてケエプ・タウンの船会社支店へ殺到する。が幾ら訊かれても、会社のほうにも、発表す可き何らのニュウスが這入っていないのである。ワラタ号は、まるで夢の船のように、波の上に掻き消されてしまった。海がぽっかりと口を開けて、船と、其の不幸な人々を呑んだものとしか言い様がない。クラン・マッキンタイア号が、同じ方向の水平線の彼方に去り行くワラタ号を見送った後は、割りに往き来の多い航路なのにも係らず、同船を見かけた船は一隻もないのである。難破船らしい船影を認めたとか、或いは漂流貨物、非常時に船足を速めるために、犠牲に投げ棄てる所謂打荷の破片――そういった、難船につきものの手懸りも、何一つ発見されない。
 出帆したダアバンと、到着すべきケエプ・タウンと、二つの港で大騒ぎを演じているうちに、日は経って行く。

      2

 大颶風の時などには、普段人家に近い海岸に沿って流れてる木片、器具の毀れ等が、遠く沖に攫い出されて、潮の調子で群がって漂流し、素人眼には、宛然《さながら》難船でもあった現場のような観を呈することがあるものだが、この時は、こういう現象さえもなく、ワラタ号の行方は何うにも説明の附けようがないことになった。英国政府は特に駆逐艦を出動させる。その他、南亜海岸防備船、会社の捜索船、ケエプ・タウンとダアバン両市の義勇船隊、海洋関係の諸団体の呈供した夥しい捜索船、沿岸を点綴《てんてつ》する村々から出た漁船の群れ、土人舟に到るまで、南亜の海の全勢力を挙げて大規模の捜査を開始した。これが数箇月続く。が、ワラタ号の神秘を解く可き鍵の瞥見だに獲られない。難船なら難船で、何らかの形でそう認めることの出来る痕跡――例えば漂流物などを発見するのが普通だが、度びたび言う通り、此の場合は何一つそういう手掛りもないのだ。絶望と確定した後も、青錨汽船会社《ブルウ・アンカア・ライン》は尚三箇月間、責任の捜索船を置いて、延べ航程一万五千海里も附近一帯の海上を遊弋《ゆうよく》させてワラタ号の破片でもと探し求めたが、これ又何の得るところもなかった、爪立ちして待っている陸の会社へ、捜索船隊は次ぎつぎに失望を齎して帰って来る。最早ワラタ号の行方不明に関して、一つとして満足な説明はないのである。今日まで無い。
 その当時、多くの人が多くの理論を提げて、此の神秘に断案を下すべく現れた。
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 A説――ワラタ号は機関に重大な故障を生じて、廃船状態の儘、まだ何処かの洋上を漂っているに相違ない。きっと舵のコントロウルを失って、遠く南極洋へ彷徨い出たのだろう。そうだと、不安と飢餓と寒気が、乗っている人を一人ずつ歯のこぼれるように殺しつつあるだろう。そして、その行手に待っているものは、文明社会との永遠の絶縁だけだ。
 B説――いや、そうではあるまい。水の漏る箇所が出来たか、或いは、浪が高くなって甲板上の開いた船艙《ハッチ》から浸水し、そのために、そっくり船の形のままで沈没したに決まってる。だから、破片や屍体が一つも浮かばないのだ。
 C説――それならば、クラン・マッキンタイア号の報告した大暴風雨を受けて、あっという間に安定《バランス》を失い、忽ち覆伏したものと考えるのが一番簡単ではないか。殊に、今度の第二回の航海に出るに当り、処女航海の経験に徴してワラタ号の船長は、非常に船の安定を気にしていたという事を思い合わすならば、此の想像は最も妥当性のあるものとなる。
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 この解釈が一般に行われて、今もそういうことになっているのだが、しかし、此れは何処までも、クラン・マッキンタイア号の報告するような大暴風雨が事実あったものということを前提にしての話しである。尤もワラタ号は「|頭の重い《タップ・ヘヴイ》」気味があって、何うかすると非道く動揺し易い傾向の船だったことは、色いろ証拠が残っている。荷物も、うんと積んでいたらしい。で、荒海《しけ》を食らって揺れが激しくなる。船艙《ハッチ》の荷物が動いて片方へ寄る。こうなると傾斜は直らないところへ、益ます猛烈に浪をかぶる。一際大きな怒濤が来れば、即座に万事解決、簡単に引っくり返るであろうことは想像出来るのである。濠洲からダアバンまでワラタ号に乗って来て、余り「頭が重く」て揺
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