噸もある大客船が沈没した以上、何かしらそれだけの証跡がなければならない。あるのが理窟であり、また常例でもある。ところが、くどいようだが、ワラタ号の最後を語る何らの発見物も無いところに、この事実物語の魅力があるので、ワラタ号を題材にした幾多の海洋冒険小説は、実にこの点に生れた。或いは、全員、海図にない無人島に漂着して新しい社会を営んでいることの、そこでは、新型式の結婚――九十二人の船客の中には女性も沢山いたに相違ない――によって子孫が殖え、新しい都会と、農作と、議会と、牧畜と、産業と、平和と闘争と秩序と、一言には、すべて新奇のそして小型の人類生活が開始されているというのやら、あるいは、いまだかつて人間の知らない海の巨大動物が現れて、ワラタ号を人諸とも一呑みにしたのだことのと[#「したのだことのと」はママ]、怪異な事実によってスタアトした空想は、限りなく伸びる。見て来たような話しが伝わった揚句、おれこそはワラタ号の生き残りだなどと言い出すいんちき人物も、其処此処に現れたものだ。筆者らが少年時代に胸を轟かせた押川春浪式の読物は、多くこの「ワラタ号後日物語」といった形式のものである。全く今でも
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