換した信号の会話の中に、
クラン・マッキンタイア「濠洲よりの途、貴船は如何なる天候を持ちしや」
ワラタ「南西及び西の稍強風、横風《アクロス》」
クラン・マッキンタイア「Thanks, Goodbye Pleasant passage」
ワラタ「Thanks, Same to you, Goodbye.」
などと言っている。人間同士の立話しのようで、この、船の挨拶というものは仲なか面白い。が、此の時は、面白いなどという騒ぎではないので、これがワラタ号の最後の声だった。
そこで、またクラン・マッキンタイア号だが、もう一つの記録によると、こうしてワラタ号に追い残された日の午後から、軽い南西の風が起って、ちょっと浪が高かったが、決して厄介な程の天候ではなく、殊にクラン・マッキンタイア号よりずっと大きなワラタ号は、何ら荒れを感じなかったろうとある。そして其の南西の風も間もなく止んで、後は北西の微風に変り、至極く平穏な航海だったと言う。こうしてここでは、ワラタ号が暴風雨《あらし》のために覆伏したという推測を、完全に覆伏している訳である。
このクラン・マッキンタイア号がケエプ・タウンに入港して、それから、ワラタ号の後からダアバンを出帆した船も、幾つとなく同じコウスを通ってケエプ・タウンへ着いた後までも、ワラタ号は遂に姿を見せないので、ようよう騒動は大きくなったのだ。ケエプ・タウンへ来る途中、クラン・マッキンタイア号は、二十七、八日の両日に、ワラタ号の他に十隻の船を海上で見かけている。それに、若しワラタ号が遭難したものならば、何かしら其の証跡――桿浮標《スパア》、救命帯、甲板椅子、屍体など、比較的浮揚力の多い物――が現場附近の海面に流れていて、船の運命を暗示していなければならないことは前に言った。ところが、これも何度もいうようだが、そういう発見物は何一つないのである。
では、ほかにワラタ号を見た船はないか。
ハアロウ号―― The Harlow ――という小さな貨物船。これが七月二十七日に、南亜の海岸を去る一哩半から二哩半の沖合いを、北東に向って航行していた。同日午後六時、船長のジョン・ブルウスという人が、約二十哩の距離に汽船の黒煙らしいものを認めたが、煙突のけむりにしては太く、高く上り過ぎているような気がしたので、一等運転士に向って、おい、あの船は火事じゃないかな、と言ったが、そのうちに暗くなると、其の黒煙の見えた方に当って、今度は、檣頭灯が二つと、赤い船尾の側灯とが眼に這入った。二時間程して、ハアロウ号がヘルメズ岬の沖一哩ほどの海上に差掛った時、気がつくと、それらの灯は約十二哩背ろに近づいて来ていて、それはハアロウ号より遙かに大きく速い船が、後を追って迫って来ているような印象を受けた。此の時ブルウス船長は、コウスを安定《セット》するために一寸海図室に入り、直ぐ船橋《ブリッジ》に引っ返したのだが、見ると、後方に、二つの明るい火が、「燃えるように」輝いていた。それが、不思議な事には、一つは海面から千呎、もうひとつの閃火《フラッシュ》は約三百呎高い夜空の中空に眺められたのだ。汽罐の爆破か何かで火が打ち上げられたのではないかと、ブルウス船長は言ったが、一等運転士は簡単に、野火です、この時候には、この沿岸の断崖上に非常に野火が多い、それがああして空に火が燃えているような錯覚を起して見えるのですと、軽く打ち消した。先刻ハアロウ号の後を追って来ているように見えていた船の灯は、この時分にはもう、何処へ行ったのか、すっかり消えて終っていた。只これ丈けの事で、ブルウス船長もそれ切り忘れていたのだが、其の後ワラタの失踪を耳にして、この、実見したところを参考にまでと申出て来た。が、これだけでは如何にも薄弱であり、それに、甚だ矛盾している点が多い。第一、そのハアロウ号の後方に望見された灯が、果してワラタならば、同船は何らかの理由で航路を転じてダアバン港へ引っ返す途にあったものと考えなければならない。そういうこともあり得なくはないけれども、これは矢張り他の船の灯で、そして空高く燃えていた火というのは、一等運転士の言う通り、ヘルメズ岬の野火だったのだろう。海の、殊に、南の夜の海の空気は、様ざまの魔術を起して、経験ある船乗りの眼をさえ、狐につままれたように迷わすことがある。ブルウス船長の眼は、其の時、この、南海の闇夜のマジックにかかって何うかしていたに相違ない。
ゲルフ号―― The Guelph ――という船も、最後にワラタ号を見たと言う。このゲルフ号はユニオン・キャッスルの近海廻りで、二十七日午後九時半――ハアロウ号のブルウス船長が船影らしいものを認めてから三時間余の後――イースト・ランドンに近いフッド岬を去る八哩手前の海上で、約五哩隔たったとこ
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