機関銃の巣まで踏み躪《にじ》ったが、敵の戦線からは、不思議な恰好《かっこう》をした弾がタンクに集中されて、弾丸不貫通という折り紙付きの鉄側にさかんに穴があくのである。
 こんなはずはないというので、イギリスのスパイ群がいろいろ動いたあげく、いまの、スタンレイ・ランドルフ大尉とマタ・アリとのロマンスが、初めて摘出《てきしゅつ》されたのだった。

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 パリーのアパアトメントの客間で、一人の美女が男の友達の上に屈《かが》み込んで強い接吻を押している。その接吻から西部戦線では、鋼鉄の怪物に特製の弾丸が炸裂《さくれつ》しているのだ。この因果関係に、近世探偵組織を象徴して、複雑多色なる一つの驚くべき模様《パタアン》をわれわれは見る。

 一九一七年、三月。一通の秘電が、ベルリンの本部からマタ・アリへ飛んだ。
「以前、某閣僚にたいしてのみは、質問探索等すべて積極的態度を採《と》るべからずといった命令を取り消す。近く仏軍首脳部において全線総攻撃の計画ありと聞く。いかなる方法をもってもその時日を確かめよ。」
 これがマタ・アリを考えさせた。初めてわかった。いままでその大臣にだけは戦争に関する話題を持ち出してはいけなかった。先方がそれに触れても、彼女の方で避けなければならなかった。それは、マタ・アリが彼の敵でないことを、ベルリンでは知り抜いていたからだった。ほかの人間ならとにかく、この閣僚からなにか聞き出そうとして、しかも同時に、すこしも密偵の疑いを受けないということはできないだろう。それよりは、たんに友人として、これによってマタ・アリがパリーに滞在しうる最大|便宜《べんぎ》に止めておいた方が安全である。が、いまは、そんなことをいっていられない。「いかなる方法をもっても」というのは、H21にとって死を意味する。今日まで彼女は、捕縛《ほばく》された場合の一つのいいぬけを持っていた。あの大臣は私の恋人です、聞こうと思えば、なんでも聞きえたはずです、それなのに、私がスパイでない証拠には、そんな絶好な立場に恵まれながら、私はあの人に戦争に関してなに一つ話しかけたことはないではありませんか、と。しかし、今度でそのゆいいつの逆証もとおらなくなる。破れればただちに死だ。といって、ベルリンの命令に服従しないとすると、そっとフランスの官憲へ身柄を暴露されるにきまっている。そこに待って
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