、給料だけではたらないから、マルガリットは、良人《おっと》の命令で、同僚の所へ金を借りにゆかなければならない。それも、どんなことでもいいから、先方の言うとおりにして、ともかく借りてこいと言うのだからひどい。植民地の若い軍人だ。独身者が多い。周囲は黒い女ばかりの所へ、マルガリットは白い中でも美人である。要求と媚態《びたい》に、みな争って金を借すようになった。まもなくマクリイ夫人は人妻なのか、連隊付きの売笑婦なのかわからなくなってしまう。そんな生活が続いた。マルガリットもだんだん慣れて平気になる。後年マタ・アリとしての活躍の素地は、このインド時代に築かれたものだ。自伝では、ここのところをちょっと浪漫《ろうまん》化して、神前に巫女《みこ》を勤めたなどと言っている。
この間に、舞踊をすこし習った。もちろん祭殿で踊ったわけではなく、ヨーロッパへ帰っても、寄席《よせ》ぐらいへ出て食えるようにしておくつもりだったのだろう。Mata Hari という名は、いうまでもなく自選自称だ。
四年ののちヨーロッパへ帰ると同時に、離婚して、初めて踊り子マタ・アリとして巡業して歩く。舞踊そのものは、どうせ彼女一流のでたらめに近いものだったに相違ないが、裸体なので評判になった。ことに東洋人というふれこみだからいたるところで珍しがられて、瞬《またた》く間にいい贔屓《ひいき》がつく。われ来り、われ見たり、われ勝てりで、本国のオランダでは、当の首相、ベルリンでは例のお洒落《しゃれ》な皇太子を筆頭《ひっとう》に政府のお歴々、フランスでは陸軍大臣が、それぞれ彼女の愛を求めて、そして当分に得ている。その他知名無名の狼連にいたっては、彼女自身記憶できないほどだった。
ドロテイン街の家に落ち着いたのはよほどのちのことだが、この家はマタ・アリの活動とともに、ドイツ人はいまだにだれも忘れていない。近所では、とてつもない金持の女が住んでいるのだとばかり思っていた。家具、室内装飾等、贅《ぜい》を尽《つく》したものであったことはもちろんだが、各室いたるところに、あらゆる角度に大鏡が置かれてあって、屈折を利用して思いがけない場所から覗《のぞ》き見できるようになっていた。室内に一人でいても、この鏡の関係と、天井の通風口の格子《こうし》とに気がつけば、上下左右に無数の見えない視線を意識したはずだ。素晴らしい床ランプのコウド
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