妙な共通心理があるものとみえる。それから当分、ほかの事件で死刑になるやつがきまって公式のように「この自分こそジャックである」と大見得の告白をするのが続出して、当局を悩ました。はじめのうちは公衆も沸いたが、われもわれもとぞくぞく流行のように、そう何人も自称ジャックが現われるに及んで、またかともうだれも真面目に相手にしなくなっている。
ただ、テキサス犯人の若いユダヤ人がジャックではなかったかという説だけは、いまだにリッパア事件の研究者の間にそうとう重く見られている。ライオンスも、その夜の男の言葉に米国|訛《なま》りを感得したと主張しているし、あの、セントラル・ニュース社へ宛《あ》てた手紙と葉書の冒頭語、Dear Boss なる文句は、明白にアメリカの俗語で、英国では絶対に使わないといっていい。が、例のパッカアだけは、葡萄《ぶどう》を売った客の言語にも、なんら米国を暗示するものは感じられなかったと言っているが、彼の応対はほん[#「ほん」に傍点]の瞬時であり、それは、声や語調は意識して変装《デスガイス》することもできるから、この点パッカアの証言はあまりあてにならない。
それに、もう一つ、こ
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