い示し得ないところと思考される。ここにおいて「斬り裂くジャック」は精神病者に相違ないとの見込みが、まず必然的に立てられたのだった。すなわち、病院か家庭の檻禁室を逃亡した狂人か、さもなければ、全快という誤診の下に退院を許された者、もしくは、じっさい一時全快して医者を離れ、その後再発したものの所業《しょぎょう》であろうというのだ。これはじつに、都会に猛獣が放たれているような、戦慄《せんりつ》すべき想像だが、こういう、早まって退院を許された狂人の犯罪は、その例に乏《とぼ》しくない。が、これはようするに素人《しろうと》の臆測で、最初のリッパア事件突発と同時に、警察は早くもこの点に着眼し、全英はもちろん、広く欧州大陸から南米にまで照会の電報を飛ばして、精神病院の有無《うむ》、退院した狂暴性患者のその後の動静などを集めたのだったが、その後たった一つ前回に掲げたモスコーからの通知があっただけで、なんらめぼしい手がかりは獲《え》られなかったのである。といって、日夜種々雑多な人間が、満潮時の大河口のように渦を巻き、流れを争う世界最大の貧民窟だ。正確な人口すらわかっていないのだから、いつどんな「猛獣」が潜行してきていないとはかぎらない。しかし、「斬裂人《リッパア》ジャック」が狂人だったとしたら、この犯罪はもっと気まぐれであり、より非組織的でなければならない。それは、すこしでも精神異常者なら、たとえ犯跡は巧妙に晦《くら》ましても、なにかのことでいつかは尻尾を掴《つか》ませるはずである。もちろん一口に精神病といっても、幾多の類型と階梯《かいてい》があるが、種々な場合に現われた事実を総合すると、どうもこのジャックは、狂人どころか普通人、あるいはそれ以上の明識《レイション》あるものとしか思えないのだ。またかりに精神病者としても、彼はたくみにその病的特徴を隠していて、学術的に、はたしていかなる種類と程度の患者と認めていいのか、この点については専門家の意見が区々に別れて、ついに纏《まと》まるところを知らなかった。変態性欲者ちゅうの一種の色情倒錯《しきじょうとうさく》狂でかつ癲癇性激怒《てんかんせいげきど》の発作を併有《へいゆう》するものに活痰ネいと、一部の権威ある犯罪学者によって主張され、動機の説明としてはもっぱらこの説が行なわれた。精神病理学者として令名あるフォウブス・ウィンスロウ博士は、往訪の
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