刑事部捜査課員を総動員して、フォルスタア氏が率いて現場に出張したあと、連絡を取るために、大ブラウンが留守師団長格で警視庁に居残っていたところへ、若い女があわただしく飛び込んできた。
ブラウン氏は、現場のフォルスタア氏から刻々かかってくる報告電話を受理するのに忙しかったが、女がなにかリッパア事件に関することを言いにきたと聞いて、ただちに私室へ招じ入れて面接した。
エセル・ライオンスといって、その服装態度からブラウンが一眼で鑑別したとおり、彼女はイースト・エンドを縄張りにする辻君《つじぎみ》の一人だった。ひどく昂奮していて、ブラウン氏を見ると、「何年ぶりかに父親にでも会ったように」いきなり抱きつこうとした。ブラウン氏は、職掌柄《しょくしょうがら》こういう激情的な巷《ちまた》の女を扱い慣れているので、すぐに得意の下町調《カクネイ》でくだけて出ながら、ライオンスの口からその話というのを引き出した。
ことわっておくが、前夜犯人を見たというパッカアの証言は、このときすでに、バアナア街に行っているフォルスタアからの電話で、ブラウンには委細《いさい》つうじていたが、朝早くだから、まだ新聞に発表されない前で、一般にはなんら知れていなかったのだ。
このことを頭に置いて、ライオンスの言うところを聞くと、こうである。
昨夜また、バアナア街に斬裂人《リッパア》が現われたと聞いて、ライオンスは思い切って自分の経験を述べに出頭したのだが、それによると、彼女は大変な命拾いをしている。
数日前の深夜、例によって相手を探してホワイトチャペルのピンチン街を歩いていると、むこうから来かかった一人の男が、知り合いらしく帽子に手をかけて挨拶した。これは、男のほうから街上の売春婦を呼びとめる場合の、一つのカムフラアジュ的常法である。ピンチン街は、ユダヤ人の小商人の住宅などが並んでいて、入口が円門《アウチ》のようになっている家が多い。このころのロンドンだからあいかわらず霧がかかってはいたが、霧の奥に月のある晩だったので、二人は、その一つのアウチの下に人目を避けて立話しした。
「どこか君の知ってる静かなところへ伴《つ》れてってくれないか。」
男はこう言ったという。言いながらズボンのポケットを揺すぶって、金を鳴らして聞かせた。このとおり金を持っているというのだ。
ここでライオンスは、この男の語調には多
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