符売場式の店の窓口からボンヤリ[#「ボンヤリ」に傍点]戸外の雑沓《ざっとう》を眺めているのが常です。すると、早目に昼飯《ランチ》に出た近所の売子などが、笑いさざめいて通っていましたから、かれこれ十二時でしたろう。ふと見ると、あの男が、この間の晩と同じ服装で店のすぐ前の舗道に差しかかっている。彼奴《きゃつ》が『斬裂人《リッパア》のジャック』であることは各新聞も指摘し、近所の者もみなそう言いあい、私も確信していた際ですから、私は、通行の群集に混って歩いているその男を見かけると同時に、あ! あいつだ! と思いました。先方も私を覚えていたらしく、ちら[#「ちら」に傍点]とこちらを見ましたが気のせいか、それは何事か脅すような、じつに気味の悪い眼つきでした。正直に申しますと、私ははっ[#「はっ」に傍点]と不意を打たれて、意気地がないようですが、あまりびっくりしてどうにも足が動きませんでした。その上、ちょうどその時私のほかに店に人がいなかったものですから、即座に店を空けて飛び出すわけにもゆかず、その間にも奴は足早に通り過ぎて行きます。気が気でありません。で、私は、すぐ後から店の前を通りかかった靴磨きの子供を低声に呼び込んで、何も言わず、ただ静かにその男の後を尾《つ》けてどこの家へはいるかそっ[#「そっ」に傍点]と見届けるようにと耳打ちしました。が、その男が振り返ったのです。そして私が、自分の方を見ながら熱心に靴磨きに囁《ささや》いているのを見ると、突然|彼奴《きゃつ》は鉄砲玉のように駈け出して、ちょうどそこへ疾走して来た電車へ飛び乗ってしまいました。私は夢が覚めたように初めて気がついて、店から転がり出て大声に騒ぎ立てましたが、その時はもう電車は男を乗せたまま遠く町のむこうに消え去っていたのです。まことに残念でなんとも申しわけありませんがこれが事実であります。その男が一昨日の晩私が葡萄《ぶどう》を売った客と同一人であることは断じてまちがいありませぬ。」
 ようするにパッカアは、白昼、平明な日光と普通の街上群集の中で見たがゆえに、いっそうこの人鬼にたいして、瞬間いいようのない絶大な恐怖を抱いたのである。このことは自分でも「正直のところあまりびっくりしてどうにも足が動かなかった[#「なかった」は底本では「なった」と誤植]」と告白しているとおり、この一種形容できない白昼の驚怖感が、刹那《
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