このロンドンのイースト・エンドあたりでは、山の神連が白昼居酒屋へ集まって、一杯やりながら亭主をこき[#「こき」に傍点]おろして怪気|焔《えん》をあげているのは、珍らしい図ではない――その居酒屋会議の噂の一つくらいには、まさにのぼりそうなものである。しかるに、そういう聞込みの絶えてないことが、警察の第一に不審を置いたところだった。といって、この、人の形を採《と》っている妖鬼《ようき》は、格別犯跡の隠滅《いんめつ》とか足跡の韜晦《とうかい》を計って、ことさらに屍《し》体の発見を遅らしたりして捜査を困難ならしめているわけではない。否、それどころか、ほとんど意識的にとしか思われないほど、彼はおおいに不注意であり、時としては、挑戦的態度をすら示しているのだ。例としては、先に記したごとく、そのうちの一つ、バアナア街事件の場合、発見された女の身体は、斬り開かれた腹部から中庭の石に臓腑《ぞうふ》がつかみ出されていたにかかわらず、どくっどくっと、死直後の惰力《だりょく》的|動悸《どうき》を打って、あたたかい血を奔出《ほんしゅつ》させていた。最後の一刃を加えてからまだ数秒しかたっていないのである。数秒[#「秒」に傍点]である。最初の発見者が駈けつけた刹那《せつな》に、ジャックは屍《し》体を離れて、その時は静かに、そこらの暗い一隅に立って人々の驚愕《きょうがく》を見ていたに相違ない。
 私は、個々の犯行を最初に報告して、それによって読者にまず探偵小説的興味を与えるような平凡事はしたくない。止むを得ない場合以外は、ただ忠実に記録を辿《たど》って、はじめに大体の事件をめぐる内外の情況に諸君を完全に親しましておきたいと企図《きと》しているのである。
 猫一匹、犬一匹殺しても、殺した人にはそうとうの血が付着する。いわんやこの犯人は、女を殺害したうえ、ほとんど解剖のごとき行為をその死|屍《し》に施《ほどこ》しているのである。犯行ごとに手足といわず着衣といわず、全身血だるまのように生血を浴びていなければならないことは、第一にだれでも考えるところだ。まず屍体をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に斬ったのち、彼はどこへ行って手や兇器《きょうき》を洗うか。いかにしてその血だらけの着衣を始末するか。何人《なんぴと》が彼を庇護《ひご》してそれらの便宜《べんぎ》を提供しているか。そもどんな家にこの殺人鬼は善良な市
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