す。やくざ[#「やくざ」に傍点]めいたこんな間違えでお上へお手数を掛けようなんて、そんなけち[#「けち」に傍点]な了見はこれっぽちもございません」
 と暗に助五郎の来訪を迷惑がるような口吻を洩らして、それとなく逃げを張るだけの用心も忘れなかった。
 助五郎は黙っていた。脚を二つに折って、きちん[#「きちん」に傍点]と揃えた膝頭へ叱られる時のように両の手を置いた儘、彼は外見だけはいかにもしんみりと控えていた。が、両の眼を何げなさそうに走らせて、部屋の造作《ぞうさく》や置物、調度、さては手廻りの小道具へまで鋭い評価と観察を下すのに忙しかった。おろくが茶を持って這入って来た。
 豊住又七というこの笛の師匠が、その芸に対する賞讃と同じ程度に人間として、色々悪い評判のあることは、助五郎も以前以前《まえまえ》から聞き込んでいた。自信が強過ぎるとでも言おうか、万事につけて傍若無人の振舞いが多く、この点でも充分|遺恨《うらみ》を含まれるだけのことはあったろうが、その上に、又七は有名な吝嗇家《けちんぼう》なばかりか、蓄財のためにはかなり悪辣な手段を執ることをも敢て辞さないと言ったようなところがある、とは専《もっぱ》らの噂であった。
「道理で」と助五郎は考える。「普請こそ小せえが、木口《こぐち》と言い道具と言い――何のこたあねぇ、鴻《こう》の池《いけ》又七とでも言いたげな、ふうん、こいつぁちっと臭ぇわい」
 ふとおろくと話す男の声が、茶の間の方から助五郎の鼓膜へ響いて来た。又七はつくねんと蒲団の上に腕組みしている。助五郎は耳をすました。
「ええ、もう大分好いんでござんすけど――」と答えているのはおろくの声、男は見舞いに来たものらしい。
「へっへ、それゃ何よりの恐悦で」と、頭でも叩くらしい扇子の音。つづいて、
「でもね、お師匠さんの竹《ちく》が暫らく聞かれねぇかと思うと、へっへ、あっしやこれで食も通りませんのさ、いや、本心。へっへっへ」
「まあ、望月《もちづき》さんのお上手なことったら」
「いや、本心でげす。何しろ、久し振りで此方《こちら》の師匠が雛段《ひなだん》へ据ったのが、あれが、こうっと――四日前の大|浚《さら》えでげしたから、未だ耳の底に残っていやすよ。へっへっへ、和泉屋《いずみや》の若旦那も、あれでまあ何《ど》うやらこうやら名取りになったようなわけで、まずあの人が肩を入れたからこそ、へっへ、あれだけの顔が揃ったというもの、そこへお師匠さんまで出張《でば》って呉んなすったんでげすから、若旦那も冥加《みょうが》に尽きるなかと申してな、へっへ、下方衆《したかたしゅう》はもう寄ると触るとその噂で――いや、本心、へへへへへへ」
 望月、さては長唄下方《ながうたしたかた》の望月だな、と助五郎は小膝を打ちながら、それにしても和泉屋の若旦那というのは? 四日前の大浚えとは? ――さりげなく又七へ視線を向けると、又七は煙たそうに眼を伏せて、出もしない咳を一つした。
 饒舌《しゃべ》る丈《だ》け喋《しゃべ》って終ったらしく、表の男はなおも見舞いの言葉を繰り返しながら、そそくさと出て行った。と、急に気が付いたように、助五郎も立ち上った。鬼瓦《おにがわら》のような顔が、彼の姿をちょっと滑稽に見せていた。又七もおろくも別に止めようとはしなかった。それどころか、却って内心ほっとしているらしかった。別れの座なりを二つ三つ交わした後上り口まで行った助五郎は、ずかずかと引っ返して来て、何を思ったものか矢庭にお神棚の下の風呂敷を撥《は》ね退けた。
「ほほう、お内儀、見事な羽二重が――和泉屋さんから届きやしたのう」
 おろくは格子戸の方へ眼をやって、取って付けたように叫んだ。
「あれ、また俥屋《くるまや》の黒猫《くろ》が! しいっ!」
「はっはっは」笑い声を残して助五郎はぶらりと戸外へ出た。「ははは、何もああまで誤魔化そうとするにも当るめぇに」

     四

「望月の旦那ぇ」
「へぇ――おや、お見それ申しやして、へっへ、何誰《どなた》さまでげしたかな」
「いや、年は老《と》り度《た》くねえだよ。俺はそれ、和泉屋の――」
「おっと、皆迄言わせやせん。あ、そうそう、和泉屋さんの男衆|久《きゅう》さん――へっへ」
「その久さんでごぜえますだ」洗い晒した浴衣の襟を掻き合わせながら、又七の門を出た助五郎は足早やに下方の望月に追い着いて、
「家元さん、そこまでお供致しますべえ」
 眼でも悪いのか、しょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]した目蓋を忙《せわ》しなく顫《ふる》わせながら、小鼓《つづみ》の望月は二三歩先に立って道を拾う。
「お店へはこの方が近道かね?」
 相手を出入り先の下男とばかり思い込んで、望月は言葉遣いさえも一段下げる。
「へえ」助五郎は朴訥らしくもじもじ[#「もじも
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