は、その風光の美と豊富さにおいて、他にこれを凌駕《りょうが》するものなし。赤道を北に去ること四百マイルにして、中部以南はいささか暑さに失するきらいありといえども、それも、つねに親切なる涼風に恵まるるため、決して他国人の想像するほどにてはあらず。ことに、一歩北部連山地方にいたらんか、その温候は四季を通じて倫敦《ロンドン》の秋を思わしめ、自然の表情、またこの山岳部にきわまるというべし。途中、古蒼《こそう》の宗教都市カンデイあり。史的興味と東洋色の極地を探ねて、遠く白欧より杖《つえ》をひく人士、年々歳々――うんぬん。
 コロンボ市はもちろん、カンデイ市および丘郡《ヒルごおり》のニューラリアには「こんなところにこんな!」と驚く壮麗なホテルがあって、それぞれ穏当な値段で訪問者に「旅の便宜」をあたえている。だから、せいろんは、いまでは、時計ばかり見て急ぐ寄港者よりも、欧羅巴《ヨーロッパ》の公休を日限いっぱいに費やそうという長期滞留の旅客のほうを、はるかにたくさん持つ。以下はこの錫蘭島の提供する吸引物《アトラクション》のほん[#「ほん」に傍点]のすこしの例――豪華な見物自動車。十一人で十一か国語を話し、しかもあんまりチップを期待しない奇跡的案内者組合。日光と雨量。植物帝国《ジャングル》への侵入。象。豹《ひょう》。野牛。自然豚《ワイルド・ボア》。鹿《しか》。土人娘。これらへの鉄砲による突撃。アヌラダプラとポロナルワの旧都における考古学の研究。幾世紀にわたる|せいろん人《セイロニイズ》独特の灌漑《かんがい》術。旅行記念物《ヌメントウ》の収集。宝石掘り。青玉石の洪水《こうずい》。鼈甲《べっこう》製品の安価。真鍮と銀の技能。そしてタミル族の女。
 一つの注意――日中正午前後は、ちょっとの外出にも、東印度帽《ソラ・タピイ》――ソラという樹木の髄で作った一種の土民|笠《がさ》――をかぶるか、または洋傘《こうもり》をさすかして、正確に太陽の直射を拒絶すべきこと。あなた自身の利益のために。
 旅行季節――十一月の後半から三月中旬までを最適とす。四月と五月は炎暑。六月、九月は南西の貿易風。十月、十一月は北東貿易風。同時に降雨期。
 特別の注意――東洋旅行にたいがい付属する数々の不便不快は、せいろんではすくない。西ようろっぱにおけると同じに、生命も財産もきわめて安全である。白い治下に黒い暴動などあり得るわけはない。旅行者の発見するものは、心臓的な歓迎と、微笑と、丁重《ていちょう》だけだ。だから、白人の旅行者は、いっそう気をつけて、黒い神経にさわるような言動はいっさいつつしんでもらいたい。態度の優美は「大いそぎの文明国」でよりも、かえってこの「怠慢な東洋」で完全に実行されている。で、みんな静かに、しずかに動き回ること――うんぬん。
 と、これらのすべては、前提旅行会社が白い人々に対して発している心得《ノウテス》やら|お願い《レクエト》やらだが、そこで、欧羅巴《ヨーロッパ》の旅行団は、このことごとくを承知したうえで、せいろんへ、せいろんへ、せいろんへ、すうつ・けいすの急湍《きゅうたん》が、かあき色|膝《ひざ》きりずぼんの大行列が、パス・ポートが、旅人用手形帳《トラヴェラアス・チェッキ》が、もう一度、せいろんへ、せいろんへ、せいろんへ――無作法な笑い声のあいだから妖異《ようい》な諸国語を泡立《あわだ》たせて、みんなひとまず、首府コロンボ港で欧羅巴からの船を捨てた。
 すると、同市マカラム街の珈琲《コーヒー》店キャフェ・バンダラウェラでは、タミル族の女給どもを多量に用意して、この「旦那《マスター》」方の来潮に備えていたのだ。
 多美児《タミル》族の女たちは昼は、暗い土間の奥から行人《こうじん》に笑いかけたり、生薑《しょうが》水をささげてテーブルへ接近したり、首飾りを手製するために外国貨幣をあつめたりした。そして、夜は、籐駕籠《パランキン》に揺られて英吉利《イギリス》旦那のもとへ通ったり、ひまな晩は、馬来竹《マライ・ラタン》で笊《ざる》を編んで、土人市場のアブドの雑貨店へ売り出した。

       3

「また来てる」
「どこに」
「あすこに」
「あら! ほんと」
 キャフェ・バンダラウェラで、タミル種族の女給たちが、こんなことを言いあった。
 マカラム街は「堡砦区《フォート》」と呼ばれるコロンボ市の中心に近く「奴隷の湖」をまえにしている欧風の散歩街だった。コロンボは、この王冠植民地《クラウン・コロニー》の王冠《クラウン》で、そして、それは、前総督ヒュー・クリフォード卿《きょう》によれば「東洋のチャーリン・クロス」でもあった。各会社大客船の寄港地。貨物船による物資の集散。濠州《ごうしゅう》、あふりか、支那《しな》、日本への関門。そうです。十六世紀に、葡萄牙《ポルトガル
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