得るわけはない。旅行者の発見するものは、心臓的な歓迎と、微笑と、丁重《ていちょう》だけだ。だから、白人の旅行者は、いっそう気をつけて、黒い神経にさわるような言動はいっさいつつしんでもらいたい。態度の優美は「大いそぎの文明国」でよりも、かえってこの「怠慢な東洋」で完全に実行されている。で、みんな静かに、しずかに動き回ること――うんぬん。
 と、これらのすべては、前提旅行会社が白い人々に対して発している心得《ノウテス》やら|お願い《レクエト》やらだが、そこで、欧羅巴《ヨーロッパ》の旅行団は、このことごとくを承知したうえで、せいろんへ、せいろんへ、せいろんへ、すうつ・けいすの急湍《きゅうたん》が、かあき色|膝《ひざ》きりずぼんの大行列が、パス・ポートが、旅人用手形帳《トラヴェラアス・チェッキ》が、もう一度、せいろんへ、せいろんへ、せいろんへ――無作法な笑い声のあいだから妖異《ようい》な諸国語を泡立《あわだ》たせて、みんなひとまず、首府コロンボ港で欧羅巴からの船を捨てた。
 すると、同市マカラム街の珈琲《コーヒー》店キャフェ・バンダラウェラでは、タミル族の女給どもを多量に用意して、この「旦那《マスター》」方の来潮に備えていたのだ。
 多美児《タミル》族の女たちは昼は、暗い土間の奥から行人《こうじん》に笑いかけたり、生薑《しょうが》水をささげてテーブルへ接近したり、首飾りを手製するために外国貨幣をあつめたりした。そして、夜は、籐駕籠《パランキン》に揺られて英吉利《イギリス》旦那のもとへ通ったり、ひまな晩は、馬来竹《マライ・ラタン》で笊《ざる》を編んで、土人市場のアブドの雑貨店へ売り出した。

       3

「また来てる」
「どこに」
「あすこに」
「あら! ほんと」
 キャフェ・バンダラウェラで、タミル種族の女給たちが、こんなことを言いあった。
 マカラム街は「堡砦区《フォート》」と呼ばれるコロンボ市の中心に近く「奴隷の湖」をまえにしている欧風の散歩街だった。コロンボは、この王冠植民地《クラウン・コロニー》の王冠《クラウン》で、そして、それは、前総督ヒュー・クリフォード卿《きょう》によれば「東洋のチャーリン・クロス」でもあった。各会社大客船の寄港地。貨物船による物資の集散。濠州《ごうしゅう》、あふりか、支那《しな》、日本への関門。そうです。十六世紀に、葡萄牙《ポルトガル
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