》する、これよりはなはだしきものはない。われわれの眼の碧《あお》いうちは断じて――。」
西洋人だから眼の黒いうちと言うところを碧いうちとやった。とにかく敦圉《いきま》いた。
実際そのとおりである。
ロス氏は、チャアリイの身柄に傷をつけずに受取りさえすればそれでよい。そのためには金なんかいくらでもだすつもりである。が、警察としては、もちろん子供も子供だが、こうなるとなによりも犯人を捕まえたい。ここに、ロス氏側と警察と二者の目的の間に、避けられない開きが生じた。そして、いわばこの事件の性質上、当然の|開き《ギャップ》こそは、じつにこの事件を取り返しのつかないことに導いてしまった真の原因である。とこういうと、ある人は嗤《わら》うだろう。けっして捕《つか》まえないという警察の保証をつけて犯人を誘《おび》き出し、その、のこのこ現われたところを子供と一緒に押えちまえばいいじゃないか、と。これはだれしも第一に考えるところで、そううまくゆけば簡単な解決である。まことに世話がない。ロス氏も警察も、この囮《おとり》手段には先刻気がついているんだが、そんな尋常《じんじょう》な手段に乗る相手ではないのだ。ことに先方が職業的に誘拐《ゆうかい》者であってみれば、そんな作戦は百も承知していて、いかに巧妙に網を伏せたところで、間違ってもそいつに引っかかるようなだらし[#「だらし」に傍点]のないことはしない。彼らはじつに、山一つむこうの水を嗅《か》ぐ鹿のように、その筋の動きと自分の危険にたいしては、つねに異常に敏感にこれを察知し、それによって抜け目なく行動するのだから。
ところが、たいした期待もおかず出した新聞広告にあんがいさっそく反響があった。三日に掲載されて、四日のことである。誘拐《ゆうかい》者から最初の手紙がロス邸へ郵便で配達された。なかなか面白いからまず原文を掲げる。
[#ここから2字下げ]
Mr.Ross ―― Be not uneasy. Your son Charlie will be all write. We as got him, and no power on earth can deliver him out of our hands. You will have to pay us before you git him from us, and pay a big sum, too. If any approach is maid to his hidin plaice that is the signal for his anihilation.
[#ここで字下げ終わり]
大変な名文である。訳す必要もあるまいが、概略記すと、「御子息チャアリイはおれたちといっしょにいるから安心するがいい。が、地上のどんな力もこの児を俺たちの手から取り上げることはできない。子供が欲しければ、その前に金を払うべし。それも大金である。もしなんとかして子供の隠れ場所へ近づこうとすれば、ただちにそれはチャアリイの死滅への合図となる。」
砂糖の包み紙の裏へ走り書きをしてある。発信人の住所はもちろん、署名もない。が、ロス氏は、これでもうチャアリイが帰ってきたように喜んで、すぐさま、金を支払うことを承諾するからいっそう進んだ交渉に移りたい趣《おもむき》を、それとなく新聞広告にして出そうとした。相手の居所《いどころ》がわからないから、ロス氏は新聞広告を媒介《ばいかい》に意思を伝えるより方法がなかったのである。するとここへ、警察が割り込んできて、その手紙の返事を新聞広告に出すことを厳禁してしまった。
ここらがはなはだデリケートな問題の生ずるところである。犯人は一日も早く子供を金に換えようと焦《あせ》っている。つまり多額なる値段でチャアリイをロス氏へ売り返そうとしている。ロス氏は、いかなる高値も辞せずにそれを買い戻そうとしている。いわば、ロス氏と誘拐《ゆうかい》者は、その利害において一致しているわけで、ロス氏さえ物質上の損をすれば、チャアリイは完全にロス氏の手へ返るはずだったが、警察は警察で、威信《いしん》ということもあれば、また別の観方《みかた》もある。そんなことをされては降参《こうさん》も同然で、まるで犯罪を助長するようなものだ。こういって極力ロス氏の腰弱の態度を排撃したから、この警察の干渉が邪魔《じゃま》をして、子供を提《さ》げてロス氏へ接近しようとする犯人に近づくことができず、警察を出し抜いてなんとかして直接犯人と交渉を進めたいと考えだしたロス氏には、ついに四六時中それとなく密偵の監視の眼が光るにいたった。警察としてはたしかにやむを得ない遣《や》り方であったろう。しかし、ロス氏の身になってみれば、まずなによりもチャアリイをこっちのものにすることが第一
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