い捜査網が繰り拡げられた。いったいアメリカの巡査というと、いつもチャアリイ・チャップリンにお尻を蹴られたり、怒って追っ駈けようとする拍子《ひょうし》にバナナの皮を踏んで引っくり返ったりなんか、つまり、あんまりぱっ[#「ぱっ」に傍点]としない役目の喜劇的存在とばかり、どういうものか概念されている傾向があるが、ああ見えても、生まれつき神経の太いアイルランド人が多いせいか、いざとなるとなかなか眼覚《めざま》しい活躍をやるのである。ことにこういう連絡訓練《チイム・ワアク》を要する偶発事件になると、瞬間の告知で整然たる行動を取り得る制度が完備しているのだ。それに、普段から市民に親しまれているから、なにか事があると、だれもかれも有要な情報と援助を与えることを惜しまない。ここらが日本あたりとはだいぶ違う。それからもう一つ、これはち[#「ち」に傍点]と大きな声では言えないが、このロス兄弟事件の時なども、ロス氏が聞えた富豪であり、おまけにけっしてけちん坊[#「けちん坊」に傍点]でないというので、子供を発見した警官には、ロス氏のポケットから多大の恩賞が出るにきまっている。そこで、われこそは幸運に与《あず》からんものと、正直なもので、数百の警官がまるで宝探しでもするように、この、金儲けになる福の神みたいな子供の行方《ゆくえ》を眼の色を変えてさがしまわった。変な話だが、この種の金銭の授受は、アメリカでは当然の謝礼と目《もく》されていて、だすほうも貰う方も格別やましくない。こんなわけで公務に個人的利益の熱意が加わって、そのため意外に能率があがるのかもしれないが、ここらは、日本とはおおいに違う。日本では、大金を出して勲章を買ったり、売って儲けたりする代議士や大官はあっても、個人の謝志を些少《さしょう》なりとも黄白《こうはく》の形でポケットする警官はあるまい。また、あっては大変だ。が、これは余談。
 そのうちに時間がたって、九時、十時、十一時――しかし、それでもまだ、警官はじめロス氏自身も、心配は心配として、この事件をそれほど運命的に重大な性質のものとは夢にも考えていなかった。ウォルタアとチャアリイは帰路を失って迷児《まいご》になったもの、早晩どこかの横町《よこちょう》ででも発見されて、安全に伴《つ》れ戻されることだろう。ロス氏はこう簡単に解釈して、不安のなかにも、心の底では絶えず楽観しきってい
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