上にばたッばたッと不気味な音を立てていた。見ていた子供たちはさっと道を開いて、「も、と、き――にげろやにげろ」「つかまんな!」と応援するのであった。
五
昇汞水《しょうこうすい》に手を浸しそれを叮嚀《ていねい》に拭いた学校医は、椅子にふんぞりかえるとその顎で子供を呼んだ。素っ裸の子供は見るからに身体を硬直させて医師の前に立った。彼はまず頭を一瞥して「白癬《はくせん》」と言った。それから胸をなでて「凸胸」下腹部をおさえてみると、低いがよく透る声で「ヘルニヤ」と病名を呼ばわった。側に控えていた看護婦が身体状況調査簿に万年筆をはしらせてすらすらと書きこんで行った。
「よし!」
突きはなされた子供はほっとした微笑を浮べて、医師の前をとび退く。そして検査場の隅に脱ぎ棄てておいた自分の着衣を捜しだす、垢に汚れたシャツにはぼたんが一つもついていなかった。
椅子から腰をあげた医師は、昇汞水に指を浸してゆっくり消毒しながら、後手を組んでつっ立っている校長に話しかけた。
「今の子の家庭は何でしょうかね?」
校長は子供に混っている杉本をじろっと見て、「君い――そのう……」と訊ねた、「今の子のうちは何をしとるんかね?」
ずたずたとなった三尺を捲きつけていたその子はふいにその手を停め、やぶにらみに受持教師の顔色をうかがっていた。杉本は「さあ――」と首をふって答えなかった。すると看護婦が気を利かしたつもりで、調査簿に書きこまれた家庭職業を報告した。
「金偏に芳――かんばしいの芳が書いてありますが、私には読めませんわ」
そう言って彼女も白い顔をあげ、杉本の方を見て答を求めるのであった。
子供はそんな風に自分の家のしがない職業を、多くの人の前で詮索されるのが嫌でたまらないのである。彼は俯向いていた。杉本は蹲《かが》んで子供の三尺をしっかり結んでやる。お前は教室に行ってよしと言って、その部屋から外へ出してやった。それから大人たちの好奇心を満たさねばならなかった。
「錺《かざり》の職人ですよ。つまり鳶人足なんですが、今ではごたぶんに洩れず半分は失業してると同じことで……」
杉本はそう答えて、次の子供のシャツを脱ぐ手だすけにかかった。
椅子にかえった医師は、尖った顔をぐいと引いてまた次の子供を呼ぶのであった。
「さ、次の番!」
待ってましたとばかりに久慈恵介はすっぽり丸裸になり、元気よく医師の前に立った。
「※[#「耳+丁」、第3水準1−90−39]聹栓塞《ていでいせんそく》、アデノイド、帯溝胸――ふん!」医師は眼鏡を光らせて、はじめて感情をふくめたよろこびの声をあげた。
「おお、これはみごとな帯溝胸だ、ごらんなさい、どうです?」
そばにいた看護婦は立ちあがってきたし、校長はたるんだ瞼を引きしめた。
「あたいん家はね、東京市の電気局だよ」と久慈は元気よく金切声をあげた。
医師はその声を無視した。彼の興味は家庭の状況よりも、ほとんど畸型《きけい》に近い久慈恵介の胸にかかっていたのだ。彼はすかしてみたり、深さを測ってみたりした。そうしてますます感心し「ふうん――」と鼻を鳴らすのであった。
順番を待っていた子供の中から、妬《や》っかんだ声が洩れてきた。
「久慈い――ちんちん、ごうごう、おあとが閊《つか》えています。久慈い――おあとが閊えているよ、早くかわんな」
それを聞くと久慈恵介はきゅうに全身で真赤になった。彼はまだしきりに撫でている医師の手をふり払った。自分自身の体の醜さに気づき、それと父親の仕事が嘲られた口惜しさがいっしょくたになった。彼は素っ裸のまま声を立てて泣きだした。
裸体になったとき、その子供たちの不幸が一度にさらけだされるのであった。しちむずかしい病名が、まっ黒になるほど書きあげられた。医師はそれによって今さらのごとく感心してみせた。「健全な精神は健全な肉体に宿る……昔の人はいいことを言ったもんですなあ、え? そうじゃありませんか?」すると校長もそれに答えるのである。「こんな不健全な身体では智能発達の劣るのもむりはありませんですな、いや、まったくもって家庭が悪い!」
寒い日で子供たちの首筋には毛孔が立っていた。袴などはもちろんなかった。上履《うわばき》さえ買ってもらえない彼らは、床油を塗ったので、油がべとつく板の上をべたべた歩いた。さいわいに彼らは不幸に馴れきっていた。直接不愉快な場所を脱けだすとすぐにそれを忘れた。そして金切り声を天井にひびかしたり、でたらめな節まわしに口笛を吹きあげたりして、およそ無意味な騒音を立てながら自分の教室に雪崩《なだ》れこんで行った。
白い壁が三方を立てこめているこの教室にはいると彼らは、何か自分の家に辿《たど》りついたような安心を覚え、鼻唄まじりに周囲を見まわすのであった。教
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