が一斗五升にも八升にも斗《はか》りかえられた。それだのに、何の因果でか、ある日から忽然《こつぜん》と、米屋という米屋はキログラムを使わねばならなくなった。「この腕がお前――」と彼はとうとう嘆きだした。「使い道がねえじゃねえか。なあ義――」と、こんどはきょろきょろしている伜に向い「お前も可哀そうな餓鬼だよ、震災じゃあ、おっ母がおっ潰されっちまうしよ。しかし何だぞ、眼鏡なんてしゃら臭くって掛けられるもんじゃねえからな」
紙芝居の拍子木がカチカチひびきわたって、ろじ裏から子供たちがぞろぞろ集まってきたが、一銭玉一つも持っていない子供はそこでも除け者にされるのであった。長屋の中は暗くじめじめしていた。それに較べると学校はひろく勝手気ままに跳びはねることができるのだ。放課後になると、これは子供より何よりも、校舎を汚されることだけが自分の馘《くび》と同じくらい怖ろしいと観念している使丁たちに階下の遊び場を追いまくられ、子供らは吹きっさらしの屋上運動場に逃げあがって行った。そこでは、家に帰ってもつまんねえ――と指をくわえる子供らが、犬ころのようにたわいなくふざけちらしていた。「先生、あたいも遊んで行かあ――」と塚原義夫は父親と別れ、教師の腕にすがるのであった。うす暗い階段を螺旋《らせん》まきに駈けあがり天井を抜けると、ささくれ立ったコンクリートの屋上に出る。「おーい」と塚原がわめいて跳ねあがる。するとたくさんの子供が四方からばらばら集まってくる。彼らはそこに現われた教師を見て心のつっかえ[#「つっかえ」に傍点]棒を発見し、うれしくてたまらなくなるのだ。わあわっわ……と叫んで、教師の首といわず肩といわず、およそぶら下り触れうるところに噛りつくのであった。涎《よだれ》と鼻くそと手垢をこすりつけ、なぜかそうして満足し野方図《のほうず》にはしゃぎまわった。
頑丈な金網をその周囲に高々と張りめぐらしている屋上運動場は、それだけで動物園の大きい檻《おり》を連想させた。そこだけが日没まで彼らにとって唯一の遊び場所になっていた。けれどもそこで一あばれすれば、初冬の陽がたちまち傾き、吹き抜ける風が目立って冷めたくなるのである。子供たちの唇はいちように紫色にかわる、その冷めたさを撥じきかえしてやろうという気力はなかった。ただ変な顰《しか》め面をして黙りこみ、しかたなしのように金網にへばりつく。すると網の目から、帰らねばならぬ自分の家が見える。汚れた場末の黒く汚れた屋根の下に自分の家を考えていよいよ不機嫌になるのだった。それが彼らに幸福かどうかは判らないが、杉本は一刻でも多く子供だけの世界に彼らを引き止めようとする――
「阿部、阿部――」ひょうきんな、さい槌頭《づちあたま》の阿部が「何でえ――」と答えながら教師の方へふりかえる、「お前の家はどこにあるんだ?」
「あたいん家《ち》か? あたいん家はねえ」と阿部は少しでも高くなって展望をきかせたいと思い、金網に縋《すが》ってこうもりのようにぶら吊《さが》った。「ほら、あそこに、ほら白い屋根が見えんだろう、そいから深川八幡様だ、あそことあそこの間にあんだけえどなあ……」彼は何とかして適確にそれを示したいと伸びたり縮んだりしたが、結局どれもこれも同じ黒い屋根でいっしょくたになり、ちえっと舌打ちして「あんまり小っちゃくて見えねんだよ、先生!」
「先生――あたいん家を教えてやらあ」と次の子が造作なく調子に乗ってきた。「ほら、あっこに大《でか》い池があんだろ? あれが木場でよ、あの横にあんだが……鉄工場が邪魔になって、よく見《め》ねえや」つづいて月島の方角に面した金網では、じだんだふんでいる子供が今だとばかり懸命に説明するのだった。「あたいん家の父《ちゃん》は、あのでかい工場だ、よう――お――いみんな来てみろ――な、煙《けむ》がまっ黒けに出てやがらあ。へん、あたいん家の父はえれえもんだ、毎日あの工場で働いてらあ……」
その工場の黒煙だけは、たくましく京橋方面の濁った空気にとけこんでいた。都会の屋並をなでる煙は河の向う側から逆にこちらになびいていた。隅田川がその間に白々と潮を孕《はら》んでくねっていた。「寒くなってきたからもう帰ろうよ」と杉本は子供たちの顔を見わたした。ひと塊の――家にかえってもさっぱりおもしろくない子供たちは、その声にぎょっとしてまた顔を曇らせた。
「先生ももう帰えるか?」と一人が訊いた。
「わ――あい、先生え、たすけてくれえ?」そう悲鳴をあげて、元木武夫がその時屋上に駈けあがってきたのであった。彼は、びっくりして飛びすさった子供の隙間をまったく一またぎに跳ねこえて、わっと教師の胴っ腹にしがみついた。だらしのない日ごろの唇が今は両方にきりっと引き緊り蒼ざめた頬がぴくぴくひきつっていた。せわしく肩を上下させ
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