》の為めに顔全体に生々した清鮮さを与へ、その嬌笑に霊波を漲らせ、その愛嬌に一種の情熱を加へるかの如く、約言すれば西洋人の顔貌には、黒子はその美を助けるものとなるのである。これが即ち西洋では黒子が大切にせられ、東洋では厄介視せられる所以なのである。
その外にまた、東洋と西洋とでは、美人に関する見方の違ふことも、亦この問題に大なる関係があるやうに思はれる。東洋の美人に関する形容詞を見るに、端正、静粛、挙止幽間などと、専ら「静淑」を婦人の一美徳とし、同時に婦人美の一つの資格としてある。随つてその外部に現はれる形としては、よく前後左右の釣り合、即ちシンメトリーが取れて正整して居らねばならぬのである。ちやうど希臘の古彫像のやうに。正整静淑が美人の容貌の様式なのである。だから嬌艶も、婀娜も、又は内部の熱情も、心の内に静かに籠めてゐて、是を外部に現はさない所謂喜怒哀楽を色に現はさないのである。随つて自から表情のない顔面なのである。まんざらないでは無いにしても、どうも表情が薄いのである。
然るに西洋では、是に反して、表情を主とし、表情が欠けてゐては美人でないとしてあるのである。だから西洋の美人の形
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