切にするのである。若し生れつき「ほくろ」のない婦人方は、人工的に是を模造してその顔面に黏置するのである。
 この人工的のほくろ[#「ほくろ」に傍点]のことをフランス語では「ムーシユ」といふ。「ムーシユ」とは「蝿」と云ふ意義である。白い美しい顔の上の黒一点は、恰も白磁の花瓶に一匹の蝿がとまつたやうだといふ形容から来たものださうである。何ものでも美化して形容したり命名したりする処が如何にもフランス人らしくて好いではないか?
 さてその人工的「ほくろ」、即ち「ムーシユ」とはどんなものかと云ふに、黒色に染めたタフタ(薄地の帛)を天然のほくろ[#「ほくろ」に傍点]の大きさに似せて、小さな円い形に切つたものである。而してその裏面には絆創膏に似たやうな薬品が塗つてある。だから一度顔面に貼り著ければ、容易《たや》すく剥げ落ちるやうな気遣ひはない。
 今その起原を尋ねて見るに、以前欧羅巴でまだ種痘術の発明せられなかつた昔に在つては、天然痘の為に動もすれば顔面に痘痕の残つてゐた婦人方が少くなかつた。それ等の貴婦人達がその痘痕を巧みに隠す事を色々と工夫して、終に「ムーシユ」を発明したものだと云ふ事である。その皮膚の白いこと雪を欺くばかりの美しい顔に、一点黒色の「ムーシユ」を附著して見た処が、黒と白とのコントラスト、即ち反対色の効果の為めに、白色はますます白く見へて美人の容色が一段と引立つて見へるので、我も我もと是を真似る婦人が多くなつて、遂には痘痕も何にもない婦人まで「ムーシユ」を用ゐるやうになつて、そこで「ムーシユ」の大流行となつたものであると云ふことである。そしてそれを始めたのがイタリヤである。イタリヤでは、随分昔からその風が行はれてゐたものだと云ひ伝へられてゐる。
 それが十六世紀に始めてフランスに伝播し、十七世紀十八世紀の頃、特にルヰ十五世時代にはフランスに於て大々的の流行となつて、上下貴賤の差別なく婦人と云ふ婦人は化粧用として皆この「ムーシユ」を用ゐたもので、実に「ムーシユ」の全盛期とされてゐる。
 その当時の「ムーシユ」の著け方は、今とは大分異つてゐるのである。当時の「ムーシユ」の著け方を見るに少くとも必ず三点以上としてあつたものである。左の目の上に二つ。右の目の上に一つ。これは是非とも著けることになつてゐた。この外に頬部に著ける分は各自の好き好きに随つて二つでも三つでも御勝
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