に其の通りの人だ、自知の明ありと云ふべしだと、僕はこの時何とはなしにさう感じた。
何故『苺園《フレジエール》』といふ名を付けたのですか? と僕達が訊いてみる。すると先生は軽快な口調で、この屋敷がさう呼ばれるのは決して苺《いちご》が採《と》れるからといふ訳ではないので、実は、フレジエと云ふ人が現今の規模に改修したからなのです。而してフレジエ氏から私が譲り受けたのです。フレジエ氏の手に入る前迄はこの屋敷は王政時代の収税請負人の領地の一部分であつたのです。
「革命以前の収税請負人などは非常に、贅沢をしてゐたので、ここへ遊びに来て、田舎気分を味ふと言ふので、時々親戚や知人を此処へ招いたものです」と話しながら、先生は王政時代の財界の富豪の事を、こんな風に語つて聞かせた。
「革命以前の財界の富豪なんて奴はどれも、みんな狡猾な奴等ばかりだつた。併し又一方には奴等は善く散財したもので、特に彼等は芸術を愛して芸人や芸術家にうんと金を与へて、保護したり奨励したものです。中にはそんな意気張りや豪奢の為めに巨万の身代を叩き潰したものさへあつたのです。君達はあの『豪奢な地主と豌豆の話』と云ふのを御存じですか?」
我々は「存じません」と答へた。するとコッペ先生は「この財界の富豪がどうかして王様のお妾を(マダーム・ポンパドールの方か、又はマダーム・ジユバリーの方か、どちらか)一度自分の別荘へ招待して、見たいと思ひ込んだ。処が王様のお妾の方では成金の田舎の別荘なんかへ行つてやるものかと云ふえらい権式で其の招待を拒絶した。処がその富豪は王様のお妾がいつも借金の必要に迫られてゐる事を知つてゐたので、内密に其の金子を御用達しませうと、申し込ませた。そしてそれにはその金は富豪の手からお妾へ直接手渡したいと附け加へさせた。たうとう王様のお妾さんは駕籠に乗つて出掛けて来た。
偖《さ》てお妾さんが別荘へ著いて見ると其の屋敷の並木道には花が一ぱい蒔散らしてあつて、部屋部屋の飾り付けは、目を驚かすばかりなのに、かてて加へて、その昼餐の献立の美しさ贅沢さといつたら又格別だつた。
そこで別荘の主人がいふことには私は御前様が良い牛乳をお好きでゐらせられると承りましたので……ですから何卒一杯召し上つて頂きたいものです……と黄金の茶碗に注いで恭々しく差出して……「如何です、お口に叶ひますか?」といふと、公爵夫人は「今迄こんな旨《うま》い牛乳を飲んだ事がない、何とも言ひ得ぬ好い味で。」すると富豪は微笑して「一年このかた、御前様の為めに特別にこの乳牛を飼つて置きまして、……外のもの[#「もの」に傍点]は少しもやらないで、全く豌豆ばかりで飼つたのです」といつた。そしてそれは本当なことであつたのだ。実際一年以来毎日――冬でも夏でも――その乳牛は採り立ての豌豆の大俵で養はれてゐたのです。この細心な注意はなんと感心すべきではありませんか。この贅沢な飼料がどんな高価についたかは容易に想像し得られるのです。当時はまだ鉄道などはなかつたのですから豌豆の大俵は遠方から騾馬で送らねばならなかつたのです。
当時の富豪の『意気張り《ガラントリー》』は全く想像も及ばぬ程のもので、むろん今時の成金などにそんな意気は薬にしたくもない。とブノワが余程感心したらしく言ふと、コッペ先生は大声で「全く左様だ。今は守銭奴計りだ」と吐き出すやうに現代人に対して辛辣な罵言をあびせかけた。僕は此処にもまた、別なコッペ先生があるのを見出したやうの心地がした。それは反動家のコッペである。この詩人は民主政府に対しては、ひどく反抗心を持つてゐた。(誰れもその理由を知つてをるものはないのだが)而して先生は政治が大嫌で、随つて政治家などを毛虫の様に嫌つてゐた。先生は衆議院議員だとか又は政党者流特にこれ等の人達の演説などが大嫌で、遂には市長や知事迄が嫌ひだと云ふのである……而してそれ等を罵倒する時は所謂口角沫を飛ばすの勢で……。――しかもその悪態は口先ばかりではなく、ともすると、その筆端にも隠見するものである――突然先生は『嗚呼口が汚がれる、ペッペ、外の事を話さうぢやないか』と、稍※[#二の字点、1−2−22]冷静になつて、『さあ何でも話して上げるよ……おれの命が欲しいならば、それも喜んで進上するさ』と、至極の上機嫌。
先生は書斎へ這入つていつもの椅子に腰掛けて巻煙草を燻らせた。すると前に写真機が据ゑ付けられた。みんなが同時に同じ事を考へた。おい、トリユックは? トリユックは何処へ行つた? トリユックが主人公の傍にゐないでは……トリユック、トリユックと、アンネット嬢さんはやさしい声で犬を呼ぶのであるが、トリユックは何処へ行つたか見付からない。
犬は写真機が怖いので卓子の下に隠れてゐた。それをやつとの事で、肘掛け椅子の上へ蹲踞らせた
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