部であるとしておった。しかるにマイスネル博士(Dr. Meissner)はこの破片を精密に研究した結果、この破片の法文はその文体より推すも古バビロン時代に属するものなることを知り、一八九八年にその説を発表して、この破片の本体たる法典はアスールバニパル時代のものに非ずして、バビロン王統の初期に属するものであろうと言うた。その翌年に至ってデリッチ博士(Dr. Delitzsch)は、マイスネルの考証に賛成し、さらに一歩を進めて該法典はバビロン建国第一期時代の英主ハムムラビ王が当時の法律を集めて編纂したものであろうとの推測をなし(Delitzsch, Zur juristischen Literatur Babiloniens−Beitraege. Zur Assyriologie. Bd IV S.80.)[#「IV」はローマ数字の4]、コード・ナポレオンの称呼に倣って、コード・ハムムラビという名称をさえ定め用い、他日必ずバビロンの遺址中においてその全部を発見する時があるに違いないと予期しておった。しかるにデリッチがその説を発表した後ち未《いま》だ僅に三年を経ざる内に、その予期に違《たが》
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