父にしてこの子あり


 和気清麻呂《わけのきよまろ》の第五子参議和気|真綱《まつな》は、資性忠直|敦厚《とんこう》の人であったが、或時法隆寺の僧|善※[#「※」は「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59、29−2]《ぜんがい》なる者が少納言|登美真人直名《とみまひとのじきな》の犯罪を訴え、官はこれを受理して審判を開くこととなった。しかるに同僚中に直名に左袒《さたん》する者があって、かえって「闘訟律」に依って許容違法の罪を訴えた。そこで官は先ず明法《みょうぼう》博士らに命じて、許容違法の罪の有無を考断せしめたが、博士らは少納言の権威を畏避《いひ》して、正当なる答申をすることが出来なかった。真綱はこれを憤慨して、「塵《ちり》起るの路は行人《こうじん》目を掩《おお》う、枉法《おうほう》の場、孤直《こちょく》何の益かあらん、職を去りて早く冥々《めいめい》に入るに加《し》かず」と言うて、固く山門を閉じ、病なくして卒したということである。この事は「続日本後紀《しょくにほんこうき》」の巻十六に見えておる。
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 五 ディオクレス、自己の法に死す


 ディオクレス(Diocles
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