リに至っては、固《もと》より良心もなく、また自由意思もない。随って禽獣草木には責任が存する道理がないのであるというのが、その議論の要点である。しかしながら、近世心理学の進歩はこの説の根拠を覆えし得たのみならず、歴史上の事実に徴してもこの説の大なる誤謬であることを証拠立てることが出来ようかと思われる。
原始社会の法律を見るに、禽獣草木に対して訴を起し、またはこれを刑罰に処した例がなかなか多い。有名なる英のアルフレッド大王は、人が樹から墜《お》ちて死んだ時には、その樹を斬罪に処するという法律を設け、ユダヤ人は、人を衝《つ》き殺した牛を石殺の刑に行った。ソロンの法に、人を噬《か》んだ犬を晒者《さらしもの》にする刑罰があるかと思えば、ローマの十二表法には、四足獣が傷害をなしたときは、その所有者は賠償をなすかまたは行害獣を被害者に引渡して、その存分に任《まか》すべしという規定があり(Noxa deditio[#岩波文庫の注は「noxa deditioという表現はなくnoxae deditioないしnoxae datio」とする])、またガーイウス、ウルピアーヌスらの言うところに拠れば、この行害
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