《なかんずく》ハネフィヤの学識は古今に卓絶し、人皆称して「神授の才」といった。学敵シャフェイをして「彼の学識は学んで及ぶべきにあらず」と嘆ぜしめ、マリクをして「彼が一度木の柱を金の柱なりと言ったとしたならば、彼は容易《たやす》くその柱の黄金なることを論証する智弁を有している」と驚かしめたのを見ても、如何に彼が一世を風靡《ふうび》したかを知られるのである。
ハネフィヤは、このいわゆる「神授の才」を挙げて法学研究に捧げようとの大志を立て、決して利禄名声のためにその志を移さなかった。時にクフファーの太守フーベーラは、氏の令名を聞いて判官の職を与えんとしたが、どうしても応じない。聘《へい》を厚くし辞を卑くして招くこと再三、なお固辞して受けない。太守もここに至って大いに怒り、誓ってかの腐儒をして我命に屈従せしむべしというので、ハネフィヤを捕えて市に出し、笞《むちう》たしむること日ごとに十杖、もって十日に及んだが、なお固く執《と》って動かなかったので、さすがの太守も呆れ果てて、終にこれを放免してしまった。
この後《の》ち数年にして、同一の運命は再び氏を襲うて来た。マースールのカリフ[#岩波文
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