sいつ》に此《ここ》に至るか」と言うて嘆息したということであるが、明治の黒川真頼博士は自ら考案した制服のために誤って司直壇上に崇《あが》められた。定めて「法服を為るの弊一に此に至るか」と言うて笑われたことであろう。
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 二三 法学博士

 博士号は我国の中古には官名であって、大博士・音博士・陰陽博士・文章博士・明法博士などがあった。「職原鈔」によれば、明法博士は二人で、阪上・中原二家をもってこれに任じた様である。現今の法学博士は学位であって、明治二十年の学位令によって設けられたのである。
 博士は、古えは「ハカセ」と訓じたものであるが、現今では「ハクシ」と訓ずることに定っている。学位令発布当時、森文部大臣は、半ば真面目に半ば戯れに、こういうことを言われた。「「ハカセ」の古訓を用うるも宜いけれど、世人がもし「ハ」を濁りて「バカセ」と戯れては、学位の尊厳を涜すからなー。」
 支那では律学博士というた。「魏書」に、
[#ここから2字下げ、「レ一二」は返り点]
衛覬奏、刑法、国家所レ重、而私議所レ軽、獄者人命所レ懸、而選用者所レ卑、諸置二律学博士一、相教授、遂施行。
[#ここで
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