スのであったけれども、その効果は遂に見えなかったのである。同書、前掲の文の続きに、
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
執着深き者共は、やにをほそき竹きせるに詰《つめ》、紙帳を釣り、其内にて密々呑為申者共も、方々為有レ之由候。
[#ここで字下げ終わり]
と有るのを見ても、因襲既に久しきがため、この風の牢乎《ろうこ》として抜き難かったことを知ることが出来よう。かくて、後年に至って薩摩煙草はかえって天下の名産たるに至ったのである。
[#改ページ]

 一九 松平信綱の象刑《しょうけい》


 支那《シナ》においては、古代絵画に依って刑法を公示し、これに依って文字を知らない朦昧《もうまい》の人民に法禁を知らしめる方法が行われた。「舜典」に「象《かたどるに》以二典刑一」[#「」内の一二は返り点]といい、呉氏がこれを解釈して、「刑を用うるところの象を図して示し、智愚をして皆知らしむ」といい、また「晋《しん》刑法志」に「五帝象を画いて民禁を知る」とあるなどは、皆刑罰の絵を宮門の双闕《そうけつ》その他の場所に掲げて人民を警《いまし》めたことを指すもので、これに依っても古聖王が法を朦昧の人民に布き
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