Aいやしくも命に違う者は毫末《ごうまつ》も容赦するところなく、厳刑重罰をもって正面よりこれを抑圧したのであった。即ち「撃レ非如レ鷹」[#「」内の「レ」は返り点]と言われたほどであったから、ために竟《つい》に禍を買って、その終を全うすることの出来なかったのは痛惜すべきことである。
 しかし、彼にもまた巧妙穏和なる間接立法の例がないではない。当時土佐の民俗には一般に火葬が行われておったが、兼山はその儒教主義からしてしばしばこれを禁止したのである。けれども、多年の積習は到底一朝にして改めることが出来なかった。ここにおいて彼はその方針を一変して、強いて火葬を禁ぜぬこととし、かえって罪人の死屍は必ずこれを火葬とすべき旨を令した。これよりして、火葬の事実は次第に少なくなり、遂にこの風習はその跡を絶つに至ったということである。兼山の採ったこの方法は即ち敵本主義の側面立法であって、民心を刺激すること寡《すく》なくしてしかも易俗移風の効多きものである。もし兼山にして、常に今少しくその度量を寛大にし、人情の機微を察することかくの如くあったならば、その功績はけだしますます多大となって、貶黜《へんちゅつ》の奇
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