帰したことがあった。この火事は、正月十八日に始って二十日まで焼け続け、焼死者無慮十万二千百余人、そしてこれら不幸な人々の内、死骸の引取人がない者を、武蔵下総の境なる牛島という処に、大きさ六十間四方の坑を掘って埋葬し、芝の増上寺をしてここに一宇の寺院を建立せしめ、名付けて諸宗山無縁寺|回向院《えこういん》といった。これが即ち現今の回向院である。この大火の際に、当時の有名なる典獄|石出帯刀《いしでたてわき》が囚人を解放した事実は、万治四年出版の「むさしあぶみ」に次のように見えている。
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爰《ここ》に籠屋《ろうや》の奉行をば石出帯刀と申す。しきりに猛火もえきたり、すでに籠屋に近付しかば、帯刀すなはち科人《とがにん》どもに申さるるは、なんぢら今はやき殺されん事うたがひなし。まことにふびんの事なり。爰にて殺さんこともむざんなれば、しばらくゆるしはなつべし。足にまかせていづかたへも逃れ行き、ずいぶん命をたすかり、火も鎮りたらば、一人も残らず下谷《したや》のれんけいじへ来るべし。此義理をたがへず参りたらば、わが身に替へてもなんぢらが命を申たすくべし。若又此約束を違へて参らざる者
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