の黙契に背戻《はいれい》するものではないか。
[#ここで字下げ終わり]
と言うて、縷々《るる》自己の所信を述べ、故にかかる契約を無視すれば、正義を如何にせん、天下後世の識者の嗤笑《ししょう》を如何にせん。もしクリトーンの勧言に従って脱獄するようなことがあれば、これ即ち悪例を後進者に遺すものであって、かえって彼は青年の思想を惑乱する者であるという誹毀者らの偽訴の真事であることを自ら進んで表白し、証明するようなものではないかといい、更に、
[#ここから2字下げ]
正義を忘れて子を思うことなかれ。正義を後にして生命を先にすることなかれ。正義を軽んじて何事をも重んずることなかれ。
[#ここで字下げ終わり]
と説き、滔々《とうとう》数千言を費して、丁寧親切にクリトーンに対《むか》って、正義の重んずべきこと、法律の破るべからざることを語り、よりてもって脱獄の非を教え諭したので、さすがのクリトーンも終《つい》に辞《ことば》なくして、この大聖の清説に服してしまったのである。
[#改ページ]
七 大聖の義務心
古今の大哲人ソクラテスが、毒杯を仰いで、従容《しょうよう》死に就かんとした時、多数の
前へ
次へ
全298ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング