四九 法理学


 明治三年閏十月の大学南校規則には「法科理論」となっている。あまり悪い名称ではない。我邦の最初の留学生で泰西法律学の開祖の一人なる西周助(周《あまね》)先生は、文久年間にオランダで学ばれた学科の中Natuurregtを「性法学」と訳しておられる。司法省の法学校では「性法」といい、またフランス法派の人はこの学科を「自然法」とも言うて居った。明治七年に始めて東京開成学校に法学科を設けられた時には、この学科を置かれなんだが、翌年に「法論」という名称でこれを置かれた。それから明治十四年に我輩がこの学科を受持つようになって考えてみると、仏家に「法談」という言葉もあって、「法論」というと、何だか御談義のようにも聞えて、どうも少し抹香臭いように感じ、且つ学名としては「論」の字が気に入らなんだから、これを「法理学」と改めた。尤もRechtsphilosophieを邦訳して「法律哲学」としようかとも思ったが、哲学というと、世間には往々いわゆる形而上学《メタフィジックス》に限られているように思っている者もあるから、如何なる学派の人がこの学科を受持っても差支ない名称を選んで、法理学としたの
前へ 次へ
全298ページ中132ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング