訴えることとなった。
 かくてメレートスやアヌトスなどの詐言《さげん》のために、とやかくといろいろ瞞着《まんちゃく》された結果、種々の裁判の末に、我大聖ソクラテスは遂に死刑を宣告せられることとなった。
 さて、いよいよ死刑が執行されるという日の前日になって、ソクラテスの門弟の一人なるクリトーンはソクラテスに面会して、この不正なる刑罰を免れるために脱獄を勧めようと思って、早朝その獄舎に訪ねて来た。来て見たところが、ソクラテスは、さも心地《ここち》よさそうに安眠しておったのである。クリトーンは、師がその死期の刻々に近づきつつあるにもかかわらず、かく平然自若たるを見て如何にも感嘆の情を禁《とど》めることが出来なかったが、やがてソクラテスの眠より覚めるのを俟《ま》って、脱獄を勧めた。
 クリトーンは、裁判の不正なること、刑罰の不当なることを説いて、師がかく生命を保ち得られる際に、自ら好んで身を死地に投じてこれを放棄せられるのは、むしろ悪事を敢えてなさんとせられるものであって、今甘んじてこの刑に就くのは、これ即ち敵人の奸計に党《くみ》するものであるといわねばならぬと述べ、またこの際、妻や子供らを
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