を知り、天にあこがれ地にかこちて、幾夜この森中に泣き明した。果ては泣きの涙にその身も溶けて林中の一湧泉となり、悲痛の涙は滾々《こんこん》として千載に尽くることなく、今もなお一つの清泉となって女神像下に流れ出《い》づるもの、即ちこのエジェリヤの涙泉であると伝えている。
 回顧すれば既に十有余年の前、明治三十二年の秋風吹き初むる頃、我輩がローマに客となっておった折の事であるが、一日我輩は岡田朝太郎博士ら数名とともにこのエジェリヤの遺跡というを訪ねた事があった。清冽《せいれつ》掬《きく》するに堪えたる涙泉の前に立って、我輩は巻煙草を燻《くゆ》らしながら得意にエジェリヤの昔譚《むかしものがたり》を同行の諸氏に語りつつ、時の移るを忘るるほどであったが、いざ帰ろうという時になって、先ほど煙草の口を切ったはずのナイフの見えぬのに気が付いた。ここか、かしこかと、残る隈なく一同で尋ねて見たけれども、遂に見当らぬので、結局涙泉の中に落したのであろうということに定った。この時岡田博士、即座に、
  エジェリヤがワイフ気取りの聖森《ひじりもり》
       ナイフ落してシクジリの森
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