ではあるけれども、養子に関する法律の規定であって、多分有名なるゴルチーン法の一部であろうとの考証を与えられた。
しかるにこの後ち十七年を経て、アウッスーリエー氏(Haussoulier)もまた二個の石片を発見して、これを「ブュルタン・ド・コルルスポンダンス・エレニーク」(Bulletin de correspondance hellenique)[#「helle−」の2番目の「e」はアクサン(´)付き]誌上において公表した。この二片は甚だしく毀損しているが、その一片には婚約に関する規定を記し、他の一片は殆んど全部難読であるけれども、前後の関係から推せば、これには女戸主の財産に関する規定を記しているものらしく考えられる。
この前後二回の発見は、あたかもペルシアでアッスルバニパル王の図書館の遺跡を発掘した際に発見した石片が、ハムムラビ法典発見の先駆となった如くに、その後ち学者は必ずやどこかにおいてこの法律の全部を発見することが出来るに違いないとの希望を抱くようになった。
二 壁法の発見
一八八四年の夏、クレート島のハギオイ・デカ(Hagioi Deka)なるゴルチーン市の古址
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