オながら、己れが不利な時には、直ちに相手方を訴えて損失を免れようとする如き不徳を人民に教うるものであって、善良の風俗に反すること賭博その物よりも甚だしいのである。これけだし結果にのみ重きを措《お》き過ぎて、手段の如何《いかん》を顧みなかった過失であって、古《いにし》えの立法家のしばしば陥ったところである。立法は須《すべか》らく堂々たるべし。竹内の新法の如き小刀細工は、将来の立法者の心して避くべきところであろう。
[#改ページ]
一七 喫煙禁止法
煙草の伝来した年代については、諸書に記しているところ互に異同があって、これを明確に知ることは出来ないようであるが、「当代記」の慶長十三年十月の条に、
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
此二三ヶ年以前より、たばこと云もの、南蛮船に来朝して、日本の上下専レ之、諸病為レ此平愈と云々。
[#ここで字下げ終わり]
と見えているから、この頃には喫煙の風は既に広く上下に行われて、当時のはやり物となっていたようである。かの林羅山《はやしらざん》の如きも、既に煙癖があったと見えて、その文集の中に佗波古《たばこ》、希施婁《きせる》に関する文章が載っており、またその「莨※[#「※」は「くさかんむりに宕」、第3水準1−91−3、62−8]文《ろうとうぶん》」の中に、
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
拙者《せっしゃ》性癖有レ時吸レ之、若而人《じゃくじじん》欲レ停レ之未レ能、聊《いささか》因循至レ今、唯|暫《しばらく》代レ酒当レ茶|而已歟《のみか》。
[#ここで字下げ終わり]
と記している。
しかるに、幕府は間もなく喫煙をもって無益の費《つい》えとなし、失火の原因となり、煙草の植附けは田畑を荒すなど種々の弊害あるものとして、これを禁止するに至った。「慶長年録」慶長十四年の条に、
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
七月、タバコ法度《はっと》之事、弥《いよいよ》被レ禁ト云々、火事其外ツイエアル故也。
[#ここで字下げ終わり]
と見えているが、これが恐らくは喫烟禁止令の初めであろう。
この後《の》ち慶長十七年八月に至って、幕府は、一季居、耶蘇教、負傷者、屠牛《とぎゅう》に関する禁令とともに、煙草に関する禁令をも天下に頒った。
[#ここから2字下げ、「レ一二」は返り点]
一、たばこ吸事|被二禁断一訖《きんだんせられおわんぬ》、然上は、商賣之者迄も、於レ有二見付輩一|者《は》、双方之家財を可レ被レ下、若《もし》又於二路次一就二見付一者、たばこ並売主を其在所に押置可二言上一、則付たる馬荷物以下、改出すものに可レ被レ下事。
附、於二何地一も、たばこ不レ可レ作事。
右之趣御領内江[#「江」はポイント小さく右寄せ]|急度《きっと》可レ被二相触一候、此旨被二仰出一者也、仍如レ件《よってくだんのごとし》。
慶長十七年八月六日
[#ここで字下げ終わり]
この後ちも幕府はしばしば喫煙および煙草耕作の禁令を出したことは、拙著「五人組制度」の中にも記して置いた通りである。しかし、この類《たぐい》の禁令はとかくに行われにくいものと見えて、その頃の落首に、
[#ここから2字下げ]
きかぬもの、たばこ法度に銭法度、
玉のみこゑにけんたくのいしや。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
一八 禁煙令違犯者の処分
慶長年中に、幕府が喫煙禁止令を出したとき、諸国の大名もまたそれぞれその領内に対して禁煙令を出したようであるが、就中《なかんずく》薩摩の島津氏の如きは、その違犯者に対して随分厳罰を科したのであった。一体、薩摩は当時のいわゆる南蛮人が夙《はや》くから渡来した地方であるから、煙草の如きも比較的早くよりこの地方に伝播《でんぱ》して、喫煙の風は余程広く行われ、その弊害も少なくはなかったものと見えて、かの文之和尚の「南浦文集」の中にも、風俗の頽敗と喫煙の風とに関した次の如き詩を載せている。
[#ここから2字下げ、「一二」は返り点]
風俗常憂頽敗※[#「※」は「しんにょうに端のつくり」、第4水準2−89−92、65−8] 人人左衽拍二其肩一
逸居飽食坐終日 飲二此無名野草煙一
[#ここで字下げ終わり]
それで、島津氏も厳令を下して喫煙を禁止しようとしたのである。「崎陽古今物語」という書に次の如き記事が見えている。
[#ここから2字下げ、「レ一二」は返り点]
竜伯様(島津義久)惟新様(島津義弘)至二御代に一、日本国中、天下よりたばこ御禁制に被二仰渡一、御|国許《くにもと》之儀は、弥《いよいよ》稠敷《きびしく》被二仰渡一候由候処に、令《せしめ》二違背一密々呑申者共有レ之、後には相知、皆死罪に為レ被二仰渡一由候云々。
[#ここで字下げ終わり]
この如く違犯者を死刑に処するまでに厳重に禁制し
前へ
次へ
全75ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング