sよ》りかかってやや暫《しばら》く待っておられると、やがて開廷の時刻となり、判事らは各自の定めの席へと出て来たのである。と見ると、博士は赭顔鶴髪《しゃがんかくはつ》、例の制服を着けて平然判事席の椅子に憑《よ》っておられるので、且つ驚き且つ怪しみ、何故ここにおられるぞと尋ねると、博士は云々の次第と答えて、更に驚いた様子も見えない。判事らは余りの意外に思わず失笑したが、さて言うよう、「ここは自分らの着席する処で、証人はあそこに着席せられたし」とて、穏かにその席を示したので、博士もそれと分って、余りに廷丁の疎忽《そこつ》を可笑《おか》しく思われたということである。これは同博士の着けておられた教授服が、如何にも当時新定の法官服に類似していたために、廷丁は博士を一見して、全く一老法官が、何かの要事あって早朝に出頭したものと早合点をし、その来由をも質《ただ》さずして直ちに判官席に案内したからの事であった。博士は帰宅の後、「今日は黒川判事となった」と言われたという事である。昔、秦の商鞅《しょうおう》は自分の制定した法律のために関下《かんか》に舎《やど》せられず、「嗟乎《ああ》法を為《つく》るの弊|一《いつ》に此《ここ》に至るか」と言うて嘆息したということであるが、明治の黒川真頼博士は自ら考案した制服のために誤って司直壇上に崇《あが》められた。定めて「法服を為るの弊一に此に至るか」と言うて笑われたことであろう。
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 二三 法学博士

 博士号は我国の中古には官名であって、大博士・音博士・陰陽博士・文章博士・明法博士などがあった。「職原鈔」によれば、明法博士は二人で、阪上・中原二家をもってこれに任じた様である。現今の法学博士は学位であって、明治二十年の学位令によって設けられたのである。
 博士は、古えは「ハカセ」と訓じたものであるが、現今では「ハクシ」と訓ずることに定っている。学位令発布当時、森文部大臣は、半ば真面目に半ば戯れに、こういうことを言われた。「「ハカセ」の古訓を用うるも宜いけれど、世人がもし「ハ」を濁りて「バカセ」と戯れては、学位の尊厳を涜すからなー。」
 支那では律学博士というた。「魏書」に、
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衛覬奏、刑法、国家所レ重、而私議所レ軽、獄者人命所レ懸、而選用者所レ卑、諸置二律学博士一、相教授、遂施行。
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