ないという有様になってしまったのである。しかしながら、これはいわゆる「大声不レ入二|俚耳《りじ》一」[#「」内の「レ一二」は返り点]で、通常の学生はオースチンの大才の真味を咀嚼することが出来なかったのであって、終局まで聴講した人々は、いずれも皆後年世界にその名を轟かした学者となった。いわゆる、偉人にあらずんば偉人を知ること能わずで、彼のジョン・スチュアート・ミルの如きは実に終局まで聴講した一人であった。
さて、前に述べたサラー夫人の序文は、その亡夫オースチンの性行を叙述し、その思想の高潔であったこと、その蘊蓄の深遠であったこと、その学を好む志の篤かったことなどを、情愛の涙を以て記載し且つその遺稿を公刊するに至った順序をも併せ記したものである。高潔婉麗の筆、高雅端壮の文、情義兼ね至り、読者をして或は粛然|襟《えり》を正さしめ、或は同情の涙を催さしめ、また或は一読三歎、案《つくえ》を打って快哉《かいさい》を叫ばしむるところもある。
今その一、二の例を挙《あ》げてみると、夫人サラーは、その夫が非凡の大才を抱きながら、生涯を貧困の中に終り、また高貴の地位をも得ることが出来なかったことを記すに際して、かかる事柄を記載するのは、決して世間に対しまたは夫に対して、不満の情を叙《の》べるのではないという事を明らかにするために、自分は、夫の学識は、世俗の尊重する冠冕《かんべん》爵位にも優って、なお偉大な物であると信じているという意見を仄《ほの》めかしている。
夫人はまたさきにオースチンが夫人に結婚を申し込んだ時の手紙の中には、氏は世の高貴なる栄達を希《ねが》わないという意を明瞭に記してあったのを、自分は承知して結婚を諾したのであって見れば、今に至って如何にしてこれに対して、不足がましき事が言えようかと記している。その文章は実に千古の名文であって、これを翻訳するよりは、むしろその原文を誦読する方が、麗瑰流暢《れいかいりゅうちょう》なる記述の真味を知ることが出来ようかと思う。依って今その一節を左に抄出する事にした。
[#ここから2字下げ]
……Even in the days when hope is most flattering, he never took a bright view of the future; nor (let me here add) did he ev
前へ
次へ
全149ページ中94ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング