モを与え、櫃を倒置したり、投げ出したりすることを禁じて、丁寧にこれを取扱わしめた。やがてゴルクム町に到着したが、その時船頭は、その櫃を橇車《そり》に乗せて、行先へ送ろうとしたのを、かねてよりそこへ来て待ち設けていた忠婢某が出て来て、その中には破損しやすい物が這入っているのだから、自分が受け取って行くといって、櫃をば担架《たんか》に乗せて、それを夫人に命ぜられたグローチゥスの友人ダビット・ダヅレールの宅へ送り届けたのである。
自由を得たグローチゥスは、直ちに煉瓦職工に変装して、一|梃《ちょう》の鏝《こて》を持って逃走し、アントウェルプ府に赴き、それから国境を越えようとする時に、一書をオランダ議会に送って、その冤《えん》を訴えて脱獄の理由を弁明し、且つ自分は祖国より迫害されたけれども、祖国を愛するの心情は、これに依って毫末も影響せられないという事を陳述した。
グローチゥスは国境を越えて仏国に走り、翌月その首府パリーに到着した。これ実に一六二一年四月の事である。
慧智なる夫人マリアは、夫の脱獄後もなお獄中に留っておって、自分の夫は激烈なる伝染病に罹っていると偽って、監守兵の室内に入り来るを避け、かくして一瞬間でも発覚の時機を延ばすようにと苦心したが、夫が脱獄してから、已《すで》に多くの時日を経過し、最早や国境を越えたのであろうと思われる頃、始めて典獄に自首して、夫を脱走させた罪科を乞うた。典獄は、マリアを質として禁錮し、もしマリア夫人を夫の代りに何時までも獄に繋《つな》いで置いたならば、グローチゥスは必ず情に牽《ひ》かされて、帰獄するに違いないと思っていたが、数月の後ち、オランダ議会は、マリア夫人の貞操を義なりとして、遂にこれを放免することとなった。夫人は出獄すると直ぐ夫の後を追うてパリーの謫居《たくきょ》に赴き、再び窮乏艱苦の間に夫を慰めて、その著書の完成を奨励したのである。
当時、仏王ルイ第十三世は、グローチゥスの不遇を憐んで、年金三千フランを授ける事に定められたけれども、国庫はその支払をしてくれなかった。故にグローチゥス夫婦は、故郷の親戚より送ってくれる僅かの金員、衣服、食品などに依って、ようやくに日々の生活を支え、その困苦欠乏は決して少なくはなかったのであるが、グローチゥス夫婦は、毫もこれがためにその志を屈することなく、互に励み励まされてその著述を継続した
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