苦戦の忠勇《ちゅうゆう》は天晴《あっぱれ》の振舞《ふるまい》にして、日本魂《やまとだましい》の風教上より論じて、これを勝氏の始末《しまつ》に比すれば年を同《おなじ》うして語るべからず。
然《しか》るに脱走《だっそう》の兵、常に利あらずして勢《いきおい》漸《ようや》く迫《せま》り、また如何《いかん》ともすべからざるに至りて、総督《そうとく》を始め一部分の人々は最早《もはや》これまでなりと覚悟《かくご》を改めて敵の軍門に降《くだ》り、捕《とら》われて東京に護送《ごそう》せられたるこそ運の拙《つたな》きものなれども、成敗《せいはい》は兵家《へいか》の常にして固《もと》より咎《とが》むべきにあらず、新政府においてもその罪を悪《にく》んでその人を悪まず、死《し》一等《いっとう》を減《げん》じてこれを放免《ほうめん》したるは文明の寛典《かんてん》というべし。氏の挙動《きょどう》も政府の処分《しょぶん》も共に天下の一|美談《びだん》にして間然《かんぜん》すべからずといえども、氏が放免《ほうめん》の後《のち》に更に青雲《せいうん》の志を起し、新政府の朝《ちょう》に立つの一段に至りては、我輩《わがはい》の感服《かんぷく》すること能《あた》わざるところのものなり。
敵に降《くだ》りてその敵に仕《つか》うるの事例《じれい》は古来|稀有《けう》にあらず。殊《こと》に政府の新陳《しんちん》変更《へんこう》するに当りて、前政府の士人等が自立の資《し》を失い、糊口《ここう》の為《た》めに新政府に職を奉《ほう》ずるがごときは、世界|古今《ここん》普通の談《だん》にして毫《ごう》も怪《あや》しむに足らず、またその人を非難すべきにあらずといえども、榎本氏の一身はこれ普通の例を以て掩《おお》うべからざるの事故《じこ》あるがごとし。すなわちその事故とは日本武士の人情これなり。氏は新政府に出身して啻《ただ》に口を糊《のり》するのみならず、累遷《るいせん》立身《りっしん》して特派公使に任ぜられ、またついに大臣にまで昇進し、青雲《せいうん》の志《こころざし》達《たっ》し得て目出度《めでた》しといえども、顧《かえり》みて往事《おうじ》を回想《かいそう》するときは情に堪《た》えざるものなきを得ず。
当時|決死《けっし》の士を糾合《きゅうごう》して北海の一隅《いちぐう》に苦戦を戦い、北風|競《きそ》わずしてつい
前へ
次へ
全17ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング