えども、自《おのず》から一例を作りたるものというべし。
然《しか》りといえども勝氏も亦《また》人傑《じんけつ》なり、当時幕府内部の物論《ぶつろん》を排《はい》して旗下《きか》の士の激昂《げきこう》を鎮《しず》め、一身を犠牲《ぎせい》にして政府を解《と》き、以て王政維新《おうせいいしん》の成功を易《やす》くして、これが為《た》めに人の生命を救い財産を安全ならしめたるその功徳《こうとく》は少なからずというべし。この点に就《つい》ては我輩《わがはい》も氏の事業を軽々《けいけい》看過《かんか》するものにあらざれども、独《ひと》り怪《あや》しむべきは、氏が維新の朝《ちょう》に曩《さ》きの敵国の士人と並立《ならびたっ》て得々《とくとく》名利《みょうり》の地位に居《お》るの一事なり(世に所謂《いわゆる》大義名分《たいぎめいぶん》より論ずるときは、日本国人はすべて帝室《ていしつ》の臣民にして、その同胞《どうほう》臣民の間に敵も味方もあるべからずといえども、事の実際は決して然《しか》らず。幕府の末年に強藩の士人等が事を挙《あ》げて中央政府に敵し、其《その》これに敵するの際に帝室《ていしつ》の名義《めいぎ》を奉じ、幕政の組織を改めて王政の古《いにしえ》に復《ふく》したるその挙《きょ》を名《なづ》けて王政維新《おうせいいしん》と称することなれば、帝室《ていしつ》をば政治社外の高処《こうしょ》に仰《あお》ぎ奉《たてまつ》りて一様《いちよう》にその恩徳《おんとく》に浴《よく》しながら、下界《げかい》に居《おっ》て相《あい》争《あらそ》う者あるときは敵味方の区別なきを得ず。事実に掩《おお》うべからざるところのものなればなり。故《ゆえ》に本文《ほんもん》敵国の語、或《あるい》は不穏《ふおん》なりとて説を作《な》すものもあらんなれども、当時の実際より立論すれば敵の字を用いざるべからず)。
東洋和漢の旧筆法に従えば、氏のごときは到底《とうてい》終《おわり》を全《まっと》うすべき人にあらず。漢《かん》の高祖《こうそ》が丁公《ていこう》を戮《りく》し、清《しん》の康煕《こうき》帝が明《みん》末の遺臣《いしん》を擯斥《ひんせき》し、日本にては織田信長《おだのぶなが》が武田勝頼《たけだかつより》の奸臣《かんしん》、すなわちその主人を織田に売らんとしたる小山田義国《おやまだよしくに》の輩《はい》を誅《ちゅ
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