に業成り課程を終《おえ》て学校を退きたる者は、いたずらに難字を解し文字を書くのみにて、さらに物の役に立たず、教師の苦心は、わずかにこの活字引《いきじびき》と写字器械とを製造するにとどまりて、世に無用の人物を増したるのみ。
 もとより人心全体の釣合を失わざるかぎりは、難字も解せざるべからず、文字も書せざるべからずといえども、本来、人心発育の理において、人の能力は一にして足らず、記憶の能力あり、推理の能力あり、想像の働ありて、この諸能力が各《おのおの》その固有の働をたくましゅうして、たがいに領分を犯《おか》さず、また他に犯されずして、よく平均を保つもの、これを完全の人心という。
 然るに毎人の能力の発育に天然の極度《きょくど》ありて、甲の能力はよく一尺に達するの量あるも、乙はわずかに五寸にとどまりて、如何なる術を施し、如何なる方便を用うるも、乙の能力をして甲と等しく一尺に達せしむること能わず。然り而《しこう》して一尺の能力ある者は、これをその諸能力に割合して各二寸また三寸ずつを発育し、これをして一方に偏せしめざるをもって教育の本旨となすといえども、もしこの諸能力中の一個のみを発育する時は、
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