またはアダム、イーブの如きも、必ずこの夫婦の徳義を修めて幸福円満なりしことならんと信ずるのみ。
されば人生の道徳は夫婦の間に始まり、夫婦以前道徳なく、夫婦以後始めてその要を感ずることなれば、これを百徳の根本なりと明言して決して争うべからざるものなり。既に夫婦を成してここに子あり、始めて親子・兄弟姉妹の関係を生じ、おのおのその関係について要用の徳義あり。慈といい、孝といい、悌《てい》といい、友《ゆう》というが如き、即ちこれにして、これを総称して人生|居家《きょか》の徳義と名づくといえども、その根本は夫婦の徳に由《よ》らざるはなし。如何《いかん》となれば、夫婦|既《すで》に配偶の大倫を紊《みだ》りて先ず不徳の家を成すときは、この家に他の徳義の発生すべき道理あらざればなり。近く有形のものについて確かなる証拠を示さんに、両親の身体に病あればその病毒は必ず子孫に遺伝するを常とす、人の普《あまね》く知る所にして、夫婦の病は家族百病の根本なりといわざるを得ず。有形の病毒にして斯《かく》の如くなれば、無形の徳義においてもまた斯の如くなるべきは、誠に睹易《みやす》き道理にして、これに疑いを容《い》るる
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