即ち我が国衣食住の有様は云々《しかじか》にして習俗宗教は斯《かく》の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装《よそお》うて体裁を張るが如き、これなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来《きた》るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙《とひ》の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。あるいは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢《ごうしゃ》分外の譏《そし》りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易《やす》からざるが故に、先ず虚《きょ》より導きて実《じつ》に入らしむる方便なりといえば、強《あなが》ち咎《とが》むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱《さしお》き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑《とうかん》に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神
前へ
次へ
全60ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング