文面を正面より受取り、その極端を行わんとするは、とても実際に叶《かな》わざることなれども、さりとて教えの言として見れば道理に差支《さしつかえ》あるべからず、ただ独り女子のみを責むることなく、男子をもこの教えの範囲内に入れて慎む所あらしむれば、その主義|甚《はなは》だ美なるもの多し。
 例えばその文の大意に嫉妬の心あるべからずというも、片落《かたおち》に婦人のみを責むればこそ不都合なれども、男女双方の心得としては争うべからざるの格言なるべし。また姦《かしま》しく多言《たげん》するなかれ、漫《みだ》りに外出するなかれというも、男女共にその程度を過ぐるは誉《ほ》むべきことにあらず。また巫覡《ふけん》に迷うべからず、衣服|分限《ぶんげん》に従うべし、年|少《わか》きとき男子と猥《な》れ猥れしくすべからず云々は最も可なり。また夫《おっと》を主人として敬うべしというは、女子より言を立てて一方に偏するが故に不都合なるのみ。けだし主人とするとは敬礼の極度を表したるものなれば、男子の方より婦人に対し、夫婦の間は必ず敬礼を尽し、ただにその内君《ないくん》を親愛するのみならず、時としては君に事《つか》うるの礼を以てこれを接すべしといえば、夫を主人とするの語も、また差支なかるべし。されば我輩、婦人の地位を高くするの議論は満腹|溢《あふ》るるが如くにして、自《おの》ずからその方便もなきにあらずといえども、これは他日に譲り、今日の目的は今の婦人の地位をばそのままに差置き、『女大学』をも大抵の処まではこれを潰《つぶ》さずして、かえって男子をしてこの『女大学』の主義に従わしめ、以て男子の品行を糺《ただ》して双方を併行《へいこう》の点に維持せんとするにあるものなり。
 今その然る所以《ゆえん》の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは、男子に対して低きことなれば、これを引上げて高き処に置かんとするに当たり、第一着に心頭に浮ぶものは、とにかくに、今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然《しか》り而《しこう》してその男子の如くなるや、知識気力の深浅強弱|如何《いかん》の辺に止《とど》まり、専《もっぱ》ら精神を練るの教えを主として、当局の婦人においても、その範囲を脱せざれば甚だ佳《よ》しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳
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