身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責《せめ》に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相《あい》伴《ともの》うの約束にして、俗にいわゆる丸儲《まるもう》けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡《そんもう》とてはなくして苦楽|相《あい》償《つぐの》い、平均してなお余楽《よらく》あるものと知るべし。
されば夫婦家に居《お》るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦|多男《ただん》は、果たして天理に叶《かな》うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否《いな》と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元《もと》一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々《せいせい》の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何《いかん》というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄《がんろう》せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事《せじ》繁多《はんた》なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫|衆婦《しゅうふ》に接し、一婦|衆男《しゅうだん》に交わるも、木石《ぼくせき》ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀《はか》りて許すべからざる所のものなり。
男女にして一度《ひとた》びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕《じょ》の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず
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