極の便利にして、其間に本人の自由を妨ぐることなきに似たれども、今一歩を進むれば社会全体に男女交際法の区域を広くし、之を高尚にし、之を優美にし、所謂和して乱れざるの佳境に進めて自由自在ならしめんこと、我輩の常に願う所なり。斯くなる上は、女子が父母に婚姻を勧めらるゝとき、自分の見聞広ければ配偶の可否を答うるも易く、又或は其身躬から意に適したる者を認め得たるときも、極内々に父母に語るか、又は窃《ひそか》に人を以て言わしむるかして、親子共に非常の便利ある可し。固《もと》より願わしき事なれども、如何せん、是れは唯今日の希望にして、今日の実際に行う可らず。強いて実行せんとすれば、其便利は以て弊害を償《つぐな》うに足らざることある可し。我輩の窃《ひそか》に恐るゝ所なり。蓋《けだ》し男女交際法の尚《な》お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交《にくこう》あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋《ひろう》にして醜猥《しゅうわい》無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。仮令い直接に身を汚さゞる者あるも、帰する所は肉交の波瀾中に浮沈するものと言わざるを得ず。左れば今日両性の気品を高尚にして其交際を広くし、随て結婚の契約をも自由自在ならしめんとするには、唯社会改良の時節を待つのみ。否な、徒《いたずら》に其時節到来を待つに非ず、天下有志の善男善女が躬践《きゅうせん》実行して実例を示し、以て其時節を作らんこと、我輩の希望し勧告する所なり。
一 女子の結婚は男子に等しく、他家に嫁するあり、実家に居て壻養子するあり、或は男女共に実家を離れて新家を興すことあり。其事情は如何ようにても、既に結婚したる上は、夫婦は偕老同穴、苦楽相共の契約を守りて、仮初にも背《そむ》く可らず。女子が生涯娘なれば身は却て安気なる可きに、左りとては相済まずとて結婚したるこそ苦労の種を求めたるに似たれども、男女家に居るは天然の命ずる所にして、其居家の楽しみは以て苦しみを償うて余りある可し。故に結婚は独身時代の苦楽を倍にするの約束にして、快楽も多き代りに苦労も亦多し。夫婦正しく一身同体、妻の病気には夫の身を苦しめ、夫の恥辱には妻の心を痛ましめ、其感ずる所に些少《さしょう》の相違あることなし。世の男女或は此|賭易《みやす》き道理を知らずして、結婚は唯快楽の一方のみと思い却て苦労の之に伴うを忘れて、是に於てか男子が老妻を捨てゝ妾を飼い、婦人が家の貧苦を厭《いと》うて夫を置去りにするなどの怪事あり。畢竟結婚の契約を重んぜざる人非人にこそあれ。慎しむ可き所のものなり。
一 女子の結婚、就中《なかんずく》その他家に嫁したる結婚の後、その家の舅姑に事《つか》うるの法如何は古来世論の喋々《ちょうちょう》する所にして、又実際に於ても女同士なる姑と嫁との間に衝突の起るは珍らしからず。仮令《たと》い或は表面に衝突せざるも、内心相互に含む所ありて打解けざるは、日本国中の毎家殆んど普通と言うも可なり。天下の姑|悉《ことごとく》皆《みな》悪婦にあらず、天下の嫁悉皆悪女子にあらざるに、其人柄の良否に論なく其間の概して穏ならざるは、畢竟人の罪に非ず勢の然らしむる所、一歩を進めて論ずれば世教習慣の然らしむる所なりと言わざるを得ず。其世教に教うる所を聞けば、嫁の舅姑に事うるは実の父母の如くせよ、実の父母よりも更らに厚くして更らに親しみ敬えと教うると同時に、舅姑に向ては嫁を愛すること真実の娘の如くせよと言う。此事果して実際に行わるれば好都合なれども、天然の人情は如何ともす可らず。父母に非ざる者を父母とし、娘に非ざる者を娘とすることは叶わずして、是に於てか相互の交際は、万事に就き心の底より出でずして、動《やや》もすれば表面の儀式に止まること多し。仮令い或は其一方が真実打解けて親まんとするも、先方の心に何か含む所あるか、又は含む所あらんと推察すれば、何分にも近づき難きが故に、俗に言う触らぬ神に祟《たたり》なしの趣意に従い、一通りの会釈挨拶を奇麗にして、思う所の真面目《しんめんぼく》をば胸の中に蔵《おさ》め置くより外にせん術《すべ》もなし。即ち双方の胸に一物《いちもつ》あることにして、其一物は固より悪事ならざるのみか、真実の深切、誠意誠心の塊にても、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず、之を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎められながら、果ては唯一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然たる親子の情を害することなきものに比すれば、迚《とて》も同年の論に非ず。左れば舅姑と嫁との間は、其人品の如何に拘らず其家風の如何に論なく、双方をして真に骨肉の親子の如くならしめんとするも、千一万一の異例の外、先ず以て人情世界に行われ難き所望にして、本《もと》はと言えば古来流行の女子教育法に制せられ、遂に社会全般の習慣を成して、舅姑も嫁も共に苦労することなれば、斯く無理なる所望して失敗するよりも、行われざる事は行われずとして他に好手段を求め、人情の根本より割出して家の幸福を全うせんこと我輩の望む所なり。
一 文字の如く舅姑は舅姑にして嫁は嫁なり。元来親に非ず子に非ざれば、其親子に非ざる真実の真面目に従て和合の法を講ずるこそ人情の本来なれ。我輩の特に注意する所のものなり。之を近づくれば固より相引き之を遠ざけても益《ますます》相引かんとするは夫婦の間なれども、之を近づくれば常に相|衝《つ》き之を遠ざくれば却て相引かんとするは舅姑と嫁との間なり。故に女子結婚の上は夫婦共に父母を離れて別に新家を設くるこそ至当なれども、結婚の法一様ならず、家の貧富、職業の事情も同じからざれば、結婚必ず別門戸は行われ難しとするも、せめて新夫婦が竈《かまど》を別にする丈けは我輩の飽くまでも主張する所なり。例えば家の相続男子に嫁を貰うか、又は娘に相続の養子する場合にも、新旧両夫婦は一家に同居せずして、其一組は近隣なり又は屋敷中の別戸なり、又或は家計の許さゞることあらば同一の家屋中にても一切の世帯を別々にして、詰る所は新旧両夫婦相触るゝの点を少なくすること至極の肝要なり。新婦の為めに老夫婦は骨肉の父母に非ざる尚《な》お其上に、年齢も異なり、衣服飲食百般の事に就て思想|好嗜《こうし》の同じからざるは当然の事にして、其異なる所のものをして相互に触れしむるときは、自然の約束に従て相衝かざるを得ず。都《すべ》て是れ双方の感情を害する媒介たるに反し、遠く相離れて相互に見るが如く見ざるが如くして、相互に他の内事秘密に立入らざれば、新旧恰も独立して自から家計経営の自由を得るのみならず、其遠ざかるこそ相引くの道にして、遠目に見れば相互に憎からず、舅姑と嫁との間も知らず識らず和合して、家族団欒の幸福敢て期す可し。即ち新夫婦相引く者をして益《ますます》引かしめ、新旧相衝くの患《うれい》を避けて遠く相引かしむるの法なり。世間無数の老人夫婦が倅《せがれ》に嫁を迎え娘に養子を貰い、無理に一家の中に同居して時に衝突を起せば、乃《すなわ》ち言く、是れ程に手近く傍に置て優しく世話するにも拘らず動《やや》もすれば不平の色ありとて、愚痴を洩す者多し。毎度聞く所なれども、何ぞ計らん、其《その》手近くせられて優しきお世話を蒙るこそ苦痛の種なれ。畢竟人の罪に非ず、習慣の然らしむる所にして、新旧夫婦共に自から不愉快と知りながら、近く相接して自から苦しむ。居家法の最も拙なるものと言う可し。
一 新夫婦は家の事情の許す限り老夫婦と同居せざるものとして、扨《さて》その新婦人が舅姑に接するの法を如何《いかが》す可きやと言うに、新婦の為めに夫は実の父母にも劣らぬ最親の人なる可し。其最親の人の最も尊敬し最も親愛する老父母即ち舅姑のことなれば、仮令い自分の父母に非ざるも、夫を思うの至情より割出して、之に厚うするは当然のことなり。夫の常に愛玩する物は犬馬器具の微に至るまでも之を大切にするは妻たる者の情ならずや。況《いわ》んや譬《たと》えんものもなき夫を産みたる至尊至親の老父母に於てをや。其保養を厚うし其感情を和らげ、仮初にも不愉快の年を発《おこ》さしむることなきよう心を用う可し。殊に老人は多年の経験もあることなれば、万事に付き妨げなき限りは打明けて語り打明けて相談す可し。之を煩わすに似たれども、其相談は老人を疏外せざるの実を表するものにして、却て意を慰むるに足る可し。曾て或る洋学者が妻を娶り、其妻も少し許《ばか》り英語を解して夫婦睦じく家に居り、一人の老母あれども何事も相談せざるのみか知らせもせずに、夫婦の専断に任せて、母は有れども無きが如し。或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て用を達するの風なりしゆえ、転宅の其朝に至るまで何事も老人の耳に入らずして一切夢中、何時《いつ》の間《ま》にか荷物同様新宅に運搬せられたることなり。倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒《ふらち》も亦|悪《にく》む可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕《ゆる》す可きなれども、苟《いやしく》も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益《むやく》なり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦|喃々《なんなん》の間に決したることならんなれども、是れぞ所謂老人の口腹を養うを知て其情を養うの道を知らざる者なり。不敬不埒と言うよりも常識を失う朱愚と言う可し、大倫を弁《わきま》えざる人非人と言う可し。女子の注意して心に銘ず可き所のものなり。
一 小児養育は婦人の専任なれば、仮令い富貴の身分にても天然の約束に従て自から乳を授く可し。或は自身の病気又は衛生上の差支より乳母を雇うことあるも、朝夕の注意は決して怠る可らず。既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事までも見遁《みのが》しにせざるは、即ち婦人の天職を奉ずる所以《ゆえん》にして、其代理人はなき筈なり。飲食衣服は有形の物にして誰れの手を以て与うるも同様なるに似たれども、其これを与うるの間に母徳無形の感化力は有形物に優ること百千倍なるを忘る可らず。蚕《かいこ》を養うにも家人自からすると雇人に打任せるとは其生育に相違ありと言う。況んや自分の産みたる子供に於てをや。人任せの不可なるは言わずして明白なる可し。世間の婦人或は此道理を知らず、多くの子を持ちながら其着物の綻《ほころび》を縫うは面倒なり、其食事の世話は煩わしとて之を下女の手に託し、自分は友達の附合、物見遊山などに耽《ふけ》りて、悠々閑々たる者あるこそ気の毒なれ。元来を言えば婦人の遊楽決して咎む可らず。鬱散養生とあれば花見も宜し湯治も賛成なり、或は集会宴席の附合も自から利益なれども、其外出するや子供を家に残して夫婦の留守中、下女下男の預りにて、初生児は無理に牛乳に養わるゝと言う。恰も雇人に任せたる蚕の如し。其生育如何は自問して自答に難からざる可し。在昔《ムカシ》大名高家の子供に心身|暗弱《あんじゃく》の者多かりしも、貴婦人が子を産むを知て子を養育する法を忘れたるが故なり。篤《とく》と勘考す可き所のものなり。故に我輩は婦人の外出を妨げて之を止むるに非ず、寧ろ之を勧めて其活溌ならんことを願う者なれども、子供養育の天職を忘れて浮かれ浮かるゝが如きは決して之を許さず。此点に就ては西洋流の交際法にも感服せざるもの甚だ多し。又婦人は其身の境遇よりして家に居り家事を司どるが故に、生理病理に就て多少の心得なくて叶わぬことなり。家人の病気に手療治などは思いも寄らず、堅く禁ずる所なれども、急病又は怪我などのとき、医者を迎えて其来るまでの間にも頓智あり工風《くふう》あり、徒《いたずら》に狼狽《うろた》えて病人の為めに却て災を加うること多し。用心す可き事なり。例
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