記さんに、先生は夙《つと》に此一事に心を籠《こ》め、二十五歳の年、初めて江戸に出でたる以来、時々貝原翁の女大学を繙《ひもと》き自から略評を記したるもの幾冊の多きに及べる程にて、其腹稿は既に幾十年の昔に成りたれども、当時の社会を見れば世間一般の気風|兎角《とかく》落付かず、恰も物に狂する如くにして、真面目《まじめ》に女学論など唱うるも耳を傾けて静に之を聞くもの有りや無しや甚だ覚束《おぼつか》なき有様なるにぞ、只これを心に蓄うるのみにして容易に発せず、以て時機の到来を待ちたりしに、爾来《じらい》世運の進歩に随い人の心も次第に和ぐと共に、世間の観察議論も次第に精密に入るの傾きある其中にも、日本社会にて空前の一大変革は新民法の発布なり。就中《なかんずく》親族編の如きは、古来日本に行われたる家族道徳の主義を根底より破壊して更らに新主義を注入し、然かも之を居家処世の実際に適用す可しと言う非常の大変化にして、所謂世道人心の革命とも見る可きものなるに、其民法の草案は発布前より早く流布して広く世人の目に触れたるにも拘わらず、其規定に対して曾て異論を唱うるものなきのみか、十二議会にはいよ/\之を議決して昨年七月より実施せらるゝことゝは為りぬ。先生は此有様を見て恰も強有力なる味方を得たるの思いして、愉快自から禁ずる能わざると同時に、又一方を顧みれば新条約実施の期限は本年七月と定まり、僅々一年の後には外国人も内地に雑居して日本人と郷党隣人の交際を為すに至る可しと言う。従来の儘《まま》なる我国男女間の関係を彼等の眼前に示して其醜態を満世界に評判せらるゝは、国光《こっこう》上の一大汚点、日本国民として断じて忍ぶを得ず。之を矯正する一日を遅くすれば則ち一日の恥を永うす可し。世人の改新を促して自から謹ましめ以て国の体面を清潔にするは、何は扨置き目下の緊急事なりとて、いよ/\宿論発表の時機到来を認め、昨年八月中より遽に筆を執り、僅々三十日足らずの間に稿を脱したる次第なりと言う。左れば女大学評論及び新女大学の二篇は、先生先天の思想に発して腹稿は既に幾十年前に成りたるに拘わらず、之を公にするの機会を得ざりしものが、時勢の進歩とや言わん、人心の変化とや言わん、一方に新民法の発布は先生をして恰も有力なる味方を得たるの思いあらしめ、又内地雑居の切迫はいよ/\其蓄蘊を発するの必要を感ぜしめて、爰に始めて此論を公にするに至りしものなり。昨日の紙上に掲載したる女大学評論の第五回中新民法の事に論及したる所あるを以て、聊か其次第を記して読者の参考に供すと言う。



底本:「女大学評論・新女大学」講談社学術文庫、講談社
   2001(平成13)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「福澤諭吉全集 第六巻」岩波書店
   1959(昭和34)年10月1日発行
初出:「時事新報」時事新報社
   1899(明治32)年から連載
※「甚しき」と「甚だしき」の混在は、底本通りにしました。
入力:片瀬しろ
校正:田中哲郎
2006年11月7日作成
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