暗弱四肢耳目の不具は申すまでもなく、一本の歯一点の黶《あざ》にも心を悩まして日夜片時も忘るゝを得ず。俗に言う子供の馬鹿ほど可愛く片輪ほど憐れなりとは、親の心の真面目《しんめんぼく》を写したるものにして、其心は即ち子供の平等一様に幸福ならんことを念ずるの心なり。故に其子の男女長少に論なく、一様に之を愛して仮初にも偏頗《へんぱ》なきは、父母の本心、真実正銘の親心なるに、然るに茲《ここ》に女子の行末を案じて不安心の節あるやなしやと問えば、唯大不安心と言うの外なし。娘を人の家に嫁せしめて舅姑の機嫌に心配あり、兄公女公《こじゅうと》親類の附合も面倒なり、幸に是等は円く治まるとしても、肝心の夫こそ掛念《けねん》至極の相手なれ。其性行正しく妻に接して優しければ高運なれども、或は然らず世間に珍らしからぬ獣行男子にして、内君を無視し遊冶《ゆうや》放蕩の末、遂には公然妾を飼うて内に引入れ、一家妻妾群居の支那流を演ずるが如き狂乱の振舞もあらば之を如何せん。従前の世情に従えば唯黙して其狂乱に屈伏するか、然らざれば身を引て自から離縁せらるゝの外に手段なかる可し。娘の嫁入は恰も富籤《とみくじ》を買うが如し。中《あた》るも中らざるも運は天に在り。否な、夫の心次第にて、極楽もあり地獄もあり、苦楽喜憂恰も男子手中の玩弄物と言うも可なり。斯くまでに不安心なる女子の身の上に就き、父母たる者が其行末を案じて為めに安身立命の法を講ずるは親子天然の至情ならずや。即ち女子の為めに文明教育の大切なる所以《ゆえん》なり。仮令い博識の大学者たらざるも、人事の大概に通達して先ず自身の何者たるを知り、其男子に対するの軽重を測り、男女平等不軽不重の原則を明にし、内に深く身権を持張して自尊自重敢て動揺せざるまでの見識を得せしむるは、子を愛する父母の義務なる可し。又旧女大学の末文に、百万銭を出して女子を嫁せしむるは十万銭を出して子を教うるに若かず云々の意を記したるは敬服の至りなれども、我輩は一歩を進めて娘の結婚には衣装万端支度の外に相当の財産分配を勧告する者なり。生計|不如意《ふにょい》の家は扨置き、筍も資力あらん者は、仮令い娘を手放して人の妻にするも、万一の場合に他人を煩さずして自立する丈けの基本財産を与えて生涯の安心を得せしむるは、是亦《これまた》父母の本意なる可し。古風の教に婦人の三従と称し、幼にして父母に従い、嫁して夫
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