は其時の未亡人即ち今日の内君にして、禍源は一男子の悪徳に由来すること明々白々なれば、苟《いやしく》も内を治むる内君にして夫の不行跡を制止すること能わざるは、自身固有の権利を放棄して其天職を空うする者なりと言わるゝも、弁解の辞はある可らず。嫉妬云々の俗評を憚りて萎縮するが如き婦人畢生の恥辱と言う可し。
一 偕老同穴は夫婦の約束なれども、如何せん老少不定《ろうしょうふじょう》は天の命ずる所にして、偕老果して偕老ならずして夫の早く世を去ることあり。斯《かか》る不幸に際して跡に遺る婦人の年齢が四十五十にも達して、加うるに子供の数も多からんには、寡を守りて家に居る可きなれども、僅に二、三十以上まだ四十にも足らぬ身を以て寡居《かきょ》は甚だ宜しからず。我輩の持論は其再縁を主張する者なれども、日本社会の風潮甚だ冷淡にして、学者間にも再縁論を論ずる者少なきのみか、寡居を以て恰も婦人の美徳と認め、貞婦二夫に見《まみ》えずなど根拠もなき愚説を喋々して、却て再縁を妨ぐるの風あるこそ遺憾なれ。古人の言う二夫云々は、有夫の婦人が同時に第二の男子に接するの意味ならん。即ち今の有婦の男子が花柳に戯るゝが如き不品行を警《いま》しめたるものならんなれども、人間の死生は絶対の天命にして人力の及ぶ所に非ず。昨日の至親《ししん》も今日は無なり。既に無に帰したる上は之を無として、生者は生者の謀《はかりごと》を為す可し。死に事《つか》うること生に事うるが如しとは人の情なれども、人情は以て人事の実を左右す可らず。例えば死者を祭るに供物を捧ぐるは生者の情なれども、其情如何に濃《こまやか》なるも亡き人をして飲食せしむることは叶わず。左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻《ただ》ならず、此恨《このうらみ》綿々絶ゆる期《ご》なしと雖も、冥土|人間《じんかん》既に処を殊《こと》にすれば、旧を懐うの人情を以て今に処するの人事を妨ぐ可らず。一瞥心機を転じて身外《しんがい》の万物を忘れ、其旧を棄てゝ新|惟《こ》れ謀るは人間大自在の法にして、我輩が飽くまでも再縁論を主張する由縁なり。殊に男女の再縁は世界中の普通なるに、独り我日本国に於ては之を男子に自由にして女子に窮窟にす。自から両者対等の権力に影響なきを得ず。是れ亦我輩の等閑に看過せざる所のものなり。

 右第一条より第二十三条に至るまで、概し
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